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いたいの いたいの ホモ・サピエンス

【文字数:約1,000文字】

 先日に知った豆知識で、出産の痛みは「小指の切断」くらいだとか。

 前に聞いたのは「鼻から野球ボールを出す」くらいなので、どちらにせよ叫ばずにはいられないと思う。

 そういう私は幼い頃に事故で指を切断しており、つまり出産の痛みが分かる男性ということになる……かもしれない。

 幸いにも病院での処置が早く、今も両手の10指すべてが揃っているけれど、切断のせいか処置のためか1指だけ指紋がない。

 けれど意外にもスマートフォンの指紋認証には使えたので、ある人が目指す天才犯罪者の仲間として、指紋を残さず何かすることはできないようだ。

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 肉体の痛みは神経を傷めない限り、時間とともに薄れたり忘れたりする。

 一方で心の痛みは治らない瘡蓋かさぶたのように、関連のある出来事などを見聞きするなどして、不意に痛みが甦る。

 歳を重ねて振り返る過去が増えるにつれ、そこかしこに感傷スイッチ、あるいは地雷が増えていくようで、今の季節の帰りがけ、すばらしい枝ぶりのイチョウを見たりしても涙腺が刺激される。

 乾燥によるドライアイの可能性も否定できないけれど、よく観る歴史ドキュメンタリー番組などは、たいてい泣きながら観ている。

 たとえば第2次世界大戦の元凶ともいえるヒトラーが、演説によって民主的に政権を取った経緯や、その部下ゲッベルスの活躍と生涯を知れば、単純な戦争支持者だったから言えなくなる。

 もちろん彼らの目指した理想郷に、自分たちこそ住む権利があるとする考えは、裏を返せば他者の否定を認めることであって、正義が悪を内包する典型例だと思う。

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 歴史に記された失敗の痛みを感じるには、関連する物事や話を見聞きしたり、過去の遺構を訪ねるといった能動的な態度が求められる。

 知らなくても生きていくのに問題がなく、絶えず変化していく現在のほうが優先度は高い。

 とはいえ、過去のことだと反省もせず忘れようとするのが、この国の持病というか、悪い意味での前向きさなのだと思う。

 2030年に冬季オリンピックを札幌で開催するのは、どう考えても現時点では無理がある。

 夏の大会前にはデザイン盗用があったし、延期してまで開催する意義があったのか、私には分からない。果ては公式マスコットの製造会社までも不正に関わり、大小様々な負の遺産は増え続ける。

 だれにとっても痛みはツラいものだけれど、そうした痛みから学ぶ知性を忘れた人間は、もはや生物種として退化しているのかもしれない。


なかまに なりたそうに こちらをみている! なかまにしますか?