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わたしたちが空を飛ぶ理由【短編小説】

【文字数:約 4,300 文字 = 3,600 + 700】

※ 本稿を読むと気分が悪くなると思います。





  あの夏の日、たしかに私たちは空を飛んだ。

 たっぷりと空気をふくんだかき氷みたいな白い雲が、あとちょっとでブルーハワイの味になるかもしれない奇跡の直前。

 私たちは焼けつく灰色のタイルを蹴って、たしかに空の中へ飛び込んだ。

 

「……ん、……さん」

 膜で通して不純物をむしろ増やしたみたく、不明瞭な声が誰かを呼んでいる。もしもし、呼ばれてますよ誰かさん。

「……さん……やっぱりダメね」

 ほら、あなたが返事をしないから諦めちゃった。この人を無視するほどキライなのは分かったけど、そんなんじゃいつか誰からも相手にされなくなっちゃうよ。

「先生……さん、やっぱり意識が戻りません」
「かなりの高さだったみたいだからね」
「あの、ちなみにもう1人の子は……?」
「残念だけど……だった」

 何だろう、よく聞こえなかった。すごく大事なことだって確信しているのに、その音だけがノイズに掻き消されてしまう。できるだけ近づくか、お弁当みたいな名前の有名な音楽家みたく、耳をくっつけたら聞こえるだろうか。

 眠った筋肉を蹴り飛ばすイメージで命令を下し、おもりが詰まっているような骨で引っ張ると右腕がちょっとだけ持ち上がる。左はダメだ。接着剤で貼りついているのか全然まったく動かない。

 かろうじて動く右腕に意識を集め、指先の感触から冷たい鉄パイプに触れたと理解する。

 そうだ、かき氷が食べたい。見ているだけで涼しくなるブルーハワイの青色を染み込ませ、プラスチック容器3杯分くらいの高さがありそうなやつ。二人で食べて頭痛に苦しみ、青くなった舌を「ヤッバ!」と笑った。なつかしい。なつかしい?

「……う、……ああ」

 使われずに縮んだ肺と固まった喉に血を流し、動け、動け、動けよてめぇら、と口汚く罵るつもりでコントロールを取り返す。次は右腕。痛いのにも慣れてきたから耐えられる限界まで命じてやる。

 寝ている人がベッドから落ちないよう、可動式の柵に向かって腕を振る。痛くない。そこまでが苦痛すぎて何も感じない。まるで棒切れで何かを叩いているような、太鼓やドラムを打ち鳴らしているような感覚。

 そのうち先端の滑りも良くなって、リズム感も出てきた。音楽的センスとか、そういうのが目覚めたのかと思ったら、

「やめなさい!」

 悲鳴じみた命令のすぐ後に腕を掴まれ、わずかばかりの自由を失う。水の中みたいだった意識も鮮明になり、さっきまで使っていた棒切れが濡れていることに気づく。それはまるで夏の夕焼けを浴びたようで、すごくキレイだと思った。

 

 ベッドの上で体を起こした状態になり、私に向けられた6つの瞳を順にみる。恐れ、怒り、呆れ、ネガティブな感情を隠しもしない彼らに聞くのは1つだけ。

「カナエはどうなったの?」

 途端に彼らは火がつくか、もしくは水をかけられたみたいになる。もしも私がベッドの上にいなければ、彼らだって遠慮することもなかっただろう。

「……カナエさんは」

 そこで言葉が途切れたから、予想した通りの結果なのだと理解した。

「もういい分かった。眠いからおやすみ」

 薄い肌かけシーツを乱暴に手繰り寄せ、頭から被って視界を遮る。

「もういいって、ちょっと!」
「お母様、どうか落ち着いてください」
「これが落ち着いてなんていられますか!」
「きっと娘さんは混乱されてるんだと思います。さっきだって……」

 いくらシーツを引っ張っても、完全に耳を塞げていないから聞こえてくる。何があったのかなんて聞くまでもないし、むしろこの中で一番よく知っている。

 私と一緒に空を飛んだカナエが今ここにいないのは、つまりそういうことだ。

 違う病室にいるかもと希望を持たれたって困るから、それは「ありえない」と否定しておく。そこまで自信たっぷりに言えるのは、彼女の最後を看取ったのは私だからだ。 


 やっぱり怖いね、と怯えていたカナエをいつまでも待つつもりだったのに、なぜかあの場面で友だち想いなところを発揮したのには驚いたし、やっぱり彼女のことが好きだと思った。

 つないだ手に引っぱられて空を飛んだ私は、それまで体験したことのないほど幸せな気分で、へその緒で結ばれたみたく2人が1つになっていた気がする。

 でもカナエは、やっぱり最後までカナエだった。

 母親は子供を守ろうとするのが自然というか本能らしいけど、私を産んだ生物としての母を私は知らない。育ての母は親戚みたいな他人で、物心ついた頃から「あんた」と呼ばれていた。そうそう、私の名前は病院で付けられたそうで、正直どうでもいいから忘れてしまった。

 そんな赤の他人のことより大事なのはカナエだ。

 なんといっても彼女は私を命がけで守ってくれた。自分よりも価値あるものだと思っていてくれたのかもしれないし、そうした計算をせずに体が動いたのだとしたら、これ以上の幸せはないと思う。

 カナエが私を引っ張って、抱きしめて、下になって、だから私は今も生きている。

 骨は砕けて筋肉がはじけ内臓もぐちゃぐちゃになる一瞬で、あいしてる、とカナエは言った。

 最後の告白に私の顔どころか全身が赤く染まり、体の外と中すべてで包まれていた。温かくて香り高い、人間にとっての命の水。あのとき私とカナエは、胎盤でつながる母子そのものだった。 


 これからの治療方針について話す医師が、私の左腕を見ながら言った。

「そちらの腕が下になる形だったので、右よりも損傷がひどいです。完全に元通りになるまで数ヵ月かかるかと」
「先生、別に完全な状態でなくて構いません。ある程度まで治ったら通院に切り替えてください」
「そうは仰いますが精神的なケアも必要でしょうし、ここはじっくりと……」

 難色を示しているのは治療費を気にしてのことだろう。私には支払い能力がないので、それらを負担するのは親の責務になる。誰だって意味のないムダ金を使いたくないだろうし、申し訳なさは皆無だけど同情くらいはする。

「こっちはこのままにしてください」

 黙っていた私が急に口を開いたので、わずかに驚いてから「……さん」と医師が困り顔で訴える。

「治療を拒否するということなら承諾しかねます。あなたはまだ若いですし、それと並行する形でカウンセリングを受ければ……」
「うっせぇ」
「……はい?」

 拒否されたのが理解できていない相手の胸ぐらを、ガーゼと保護用ネットで包まれた右手で掴む。持ち上げるほどの腕力は出ないので、ほとんど引っ張っているだけだ。

「これはカナエが残したものだから絶対に消させない。これがある限り、私はずっとカナエと一緒だから」

 私に向けられた眼差しが「狂ってる」とでも言いたげに揺れている。そんなのもう知っている。いつからなんてムダなことを考えるんじゃなくて、大事なのは今この瞬間だ。自由に動かない左腕が、代わりに私を温めてくれる。主張する痛みは遺言のリプレイで、再生する度に私は愛を思い出す。

 

 結局、今後については保留ということになり、まずは精神的なショックからの回復を目指す方針だそうな。

 もちろん全然ショックじゃないかといったらウソになるけれど、私たちは何度も話し合って今回みたいなパターンも想定していた。命がけになった人間は本当にスゴくて、その後のこともふくめて考えてある。

 ただ、スマートフォンの使用許可が出るかどうかだけは半々で、ダメなら待つしかないと思っていたけれど、幸いにも制限つきながら許可された。

 アプリが整理されて買ったときとほぼ同じ状態に見えても、1つだけロックをかけたフォルダが作られており、お互いに向けた最後のメッセージとして開封することになっていた。

 カナエの好きな天使の名前を打ち込み、とても長い手紙を読み始める。

 出会ったときの印象、思い出せる限りのケンカと理由、ありとあらゆる好きなもの、本人がキラいでも好きなところ、そしてもしものときの将来の夢。

 空を飛ぶと決めたのに希望を持つなんて、本当にどうかしている。

 でも私たちは生きるために空を飛んだ。

 2人そろってなら無意味になるけれど、今みたいなときは残った片方がもう1人を抱きしめて生きていく。2人でなら何があっても大丈夫、なんてマンガみたいな理想は持てなかった。

 だって私たちは死の瞬間を決められないかもしれなくて、もしもどちらかの最後を看取れなかったら後追いもためらわないだろう。

 だから私たちは青空と白い雲みたいに溶け合うことを望んだ。境界線があるようでない、あの空を飛んで行こうと決めたんだ。

「あいしてるよ、カナエ」

 つぶやいた私の頬を熱い水が伝い落ちる。

 溶けた氷は水になるのだから、これはきっと青い色をしているはずだ。

 誰にも分からないほど透明な青。

 私たちだけの空を染めた色。



 了



※ 本作は自殺および自傷行為を推奨、および礼賛するものではありません。


 あとがき

 ふと夜中に書きたい欲がエクスプロージョンした結果、誇張なく私らしいものができました。

 死ぬのは怖いですが、もしもスイッチ1つで実現するとしたら何ともいえませんし、私は安楽死を肯定する側の人間です。


 日々のニュースで忘れられないものがあり、立体駐車場とダム湖からそれぞれ2人が飛んだ、というのがあります。どちらも10代だったと記憶していますが、彼らは何を思い実行までにどんな話をしたのかと、ぼんやり考えてしまいます。

 生きてりゃいいさ、と長生きした人間が若者に語ったところで、必ずしも響かないのは自身が10~20代だったときを思い返せば、わりと自明な気がします。

 もちろん生きていれば良いこともあるでしょうし、悪いこともあるでしょう。この先に味わうかもしれない苦痛を天秤にかけ、未来を諦めるという選択を全否定できるほど、世界が幸福だとは思いませんので。


 こうしたものを書くのは制作が思うようにいかないからで、楽しさと苦しさのうち、後者が強くなってしまう状態が長く続いています。

 本稿は一発書きの「ザ・りんどん」な内容なので、書いてて本当に楽しかったです。わりとコメディも好きながら、こういうのに「イキテル!」と歓喜するヤベー奴です。

 きっと私はロクな死に方をしないでしょう。むしろなぜ今も生きているのか、自分でもちょっと分からないくらいですし、「最悪の場合、きみは死ぬ」と言われたのでゾンビみたいなものです。

 とはいえ、まだまだ形にしたいもののため、人間であることを辞めるつもりはないですが。

 ここまで読んでくださり誠にありがとうございます。

 まだまだ暑い日が続きそうですので、体調にはお気をつけて。


なかまに なりたそうに こちらをみている! なかまにしますか?