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いつのまにやら

【文字数:約1,000文字】

 3月も後半に入って寒さもほどけ、そろそろ冬用ジャケットを片付ける時期です。

 ヘッダー写真の白い桃または桜は、とある場所に1本だけ植えられているのでよく目立ち、やがて暖かい日には溶けない雪を降らせてくれるでしょう。

 すこし前には気候の変化によってなのか、立て続けに仕事でミスをして分かりやすく落ち込んだ。

 仕事に命を懸けているわけではないけれど充足を得ているのも事実なので、元から頼りない肯定感をガリガリ削る。


 一方、年始から推敲していた作品は脱稿できないまま、どうやら春を越えてしまいそうで、片付かない気持ち悪さと「まだ続けられる」という、相反した感情の中にある。

 制作メモで疑問点を洗い出していたら1/3は書き直しになりそうだし、つくづく凡才だと思い知らされる。

 それに加えて近年は体力が落ちた。

 肉体と精神どちらも疲れやすく、帰宅後は仮眠を取らないと集中力が持続しない。

 失われる若さの代わりに技術を磨いたと思いつつ、文章の可能性って将来的にどうなのよと、ふとした瞬間に考えたりする。


 そうした息苦しさの中で、息抜きに書いた2次創作が評価されたのは純粋に嬉しかった。

 先日に聴いたラジオ番組にて、高橋源一郎さんが生成AIに絡めた小説の話をしており、あくまで文字は情報を運ぶものだよなと、当たり前なことを考えた。

 先の2次創作の原作はwebというかVtuberを主題にしており、それが制作中の話と近くて書きやすかったのもありつつ、生きた人間を描けたのが評価された理由かもしれない。

 noteもふくめて私たちは画面の前にいるわけだけど、そこに生存を感じられるか否かは、行動によってのみ他者から認識される。

 いくらPVが増えたところでそれは数でしかなく、文字および文章または画像によらなければ、1人の人間として認識できない。

 そのあたりの境界を描けたのが自分としては満足だし、これからも書くことを続ける燃料にできそうな。


 現状、4月から生活環境には変化がない予定なので、変わらず制作を進めながら生きていくことでしょう。

 あ、でもバイクの保険更新が近づいているので、それを何年継続するのか悩んではいます。

 降りるつもりはないにせよ、先々の見通しを考えないと保険料の取られ損ですから、バイクの耐用年数を踏まえたら3年かなぁと。

 3年後に何をやっているのか、正直さっぱり見通しが立たないのですけれど。

なかまに なりたそうに こちらをみている! なかまにしますか?