裁判所は「婚姻の自由」を誰に対して保障したのか-札幌地判令和3年3月17日

はじめに

本記事は、札幌地裁が令和3年3月17日の判決のなかで「何を言ったのか」を少しでもクリアにするために書いたものです。間違っても、判決の内容について「良い」「悪い」を評価するものではありません。(最後に少しだけ書きましたが、それはおまけです。)
判決が正しいかどうかを判断するためには、まず、判決は何を言っているのかをきちんと理解する必要があります。それを疎かにして、あーだこーだと評価を下しても意味がありません。ですので、本記事を読んだうえで、本判決の評価について皆さんがご自身で考えていただければ嬉しいです。

読む上での注意事項

・私はただの素人サラリーマンなので、本記事はあくまでも私個人の理解であることはご容赦願います。憲法、民法や関連判決の理解もありません。
・本記事は、現時点での私の思考を整理したものなので、今後、違う理解に至る可能性を否定するものではありません。
・判決の本文をしっかりと引用しているのですが、判決を読みなれていない人は、引用部分は一旦飛ばしつつ、私の文章を読んでから引用に戻って読んでもらうと、少しはマシかもしれません。(私の判決理解の是非について読者が判断できるようにするためにも、判決の本文を引用しています。)

何が争われているのか

本題に入る前に今回の訴訟で何が争われたのか、整理しておきましょう。
本訴訟の争点は以下の2つでした。
1.「婚姻制度を定める民法及び戸籍法の諸規定」(以下、「本件規定」という。)は憲法13条、14条1項又は24条に違反するものであるか。
2.(立法府が)本件規定を改廃しないことは国家賠償法1条1項に基づき違法であるか
※2.については、今回は書きません。同性婚なんて諸外国でも最近になってようやく制度化されたので、日本の国会が同性婚を制定していなくたって法的に非難される余地はねぇ!という話です。
※「本件規定」は本記事のなかで何度も出てきます。本件規定=異性婚についてのみ定められた民法等(≒同性婚について定めていない民法等)とインプットしておいてください。

裁判所の判断

上記1.の争点について、裁判所は、①憲法24条、②憲法13条、③憲法14条1項の順に判断を示しました。

まず、判断の前提(事実認定)として、性的指向について以下のように判示しています。

精神医学や心理学の知見から「ほとんどの人の場合、性的指向は、人生の初期か出生前に決定され、選択するものではないとしており、……性的指向は意思で選ぶものでも、意思により変えられるものでもない」「同性愛者の中には、性行動を変える者もいるが、それは性的指向を変化させたわけではなく行動を変えたにすぎないものであり、自己の意思や精神医学的な療法によっても性的指向が変わることはない」

続いて、過去から現代にわたる、日本及び諸外国における同性愛者に対する意識や婚姻・同性婚に関する状況を整理しています。具体的な項目は以下のとおり。
明治期における同性愛に関する知見/明治民法における婚姻制度等/明治民法における婚姻制度の目的/戦後初期(昭和20年頃)から昭和55年頃までの間における同性愛に関する知見等/現行民法における婚姻/昭和48年頃における同性愛に関する知見/諸外国及び地域における同性婚等に関する状況/我が国の状況/婚姻・結婚に関する統計/同性婚の賛否等に関する意識調査の統計
これらは、後々の、立法目的や立法事実に関する判断において効いているものたちです。

では、本題に入っていきましょう。

1.本件規定が憲法24条に違反するか否か

第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
② 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

まず最初に、本判決は、婚姻の自由の重要性について、次のように判示します。

「婚姻は、これにより、配偶者の相続権……や夫婦間の子が嫡出子となること……などの重要な法律上の効果が与えられるものとされているほか、近年家族等に関する国民の意識の多様化が指摘されつつも、国民の中にはなお法律婚を尊重する意識が幅広く浸透していると考えられることをも併せ考慮すると、……婚姻をするについての自由は、憲法24条1項の規定の趣旨に照らし、十分に尊重に値する」

このような重要な「婚姻の自由」は、同性愛者に対しても保障されるのか、というのが第一の問いです。結論から見ていきましょう。

「同条〔憲法24条〕の制定経緯に加え、同条が『両性』、『夫婦』という異性同士である男女を想起させる文言を用いていることにも照らせば、同条は、異性婚について定めたものであり、同性婚について定めるものではないと解するのが相当である。そうすると、同条1項の『婚姻』とは異性婚のことをいい、婚姻をするについての自由も、異性婚について及ぶものと解するのが相当であるから、本件規定が同性婚を認めていないことが、同項及び同条2項に違反すると解することはできない。」

判旨のいう「憲法24条の制定経緯」とは、以下のようなものです。

「同性愛は精神疾患であることを理由として、同性婚は明文の規定を置くまでもなく認められていなかった」「同性婚は当然に許されないものと理解されていた」

すなわち、本判決は、以下の2点を理由に、婚姻の自由は同性愛者に対しては及ばないと判断しているのです。
①憲法24条を制定した当時、同性愛は当然に許されない行為であったこと
②憲法24条の文言が異性愛を前提としていること

ここで注意して欲しいのは、以下のことです。
24条は同性愛者に対して婚姻の自由を保障していない ≠ 24条は同性婚を禁止している
この2つは全く意味が違います。本判決は、24条から同性愛者の婚姻の自由を導き出すことは不可能であると述べたに留まるのであって、仮に、新たに同性婚に関する立法が行われた場合に、当該立法(同性婚)が憲法24条に違反するとは言っていないのです。

いずれにしても、憲法上保障されている婚姻の自由は異性愛者だけに認められた自由であって、同性愛者に対しては認められないことが明言されているため、その意味においては、本判決は「同性婚を認めないことは違憲」とは言っていないばかりか、「同性婚に関する立法が行われていない状態は(憲法24条との関係では)合憲」だと判断したことになります。
(しつこいですが、仮に同性婚が立法された場合、同法は憲法24条との関係では合憲と判断されることになります。)

2.本件規定が憲法13条に違反するか否か

第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

憲法13条は、いわゆる「幸福追求権」を保障するものであり、過去には、プライバシー権や自己決定権を導き出す源泉として機能してきました。本件訴訟では、ここから同性婚という制度をダイレクトに導き出そうということが主張されました(多分)。

こちらも結論から見ていきましょう。

「包括的な人権規定である同法13条によって、同性婚を含む同性間の婚姻及び家族に関する特定の制度を求める権利が保障されていると解するのは困難である。」

同性婚という制度を13条からダイレクトに肯定することはできない、ということです。
その理由として、本判決は、形式的な理由と実質的な理由を挙げています。

①形式的な理由~憲法24条2項

「憲法24条2項は、婚姻及び家族に関する事項について、具体的な制度の構築を第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ね〔ており〕、……同条によって、婚姻及び家族に関する特定の制度を求める権利が保障されていると解することはできない。」

要するに、憲法上、具体的な婚姻制度を作り上げるのは立法府の仕事であり、憲法13条を根拠に裁判所が「権利」を実現すること(=同性婚を制度として承認・創造すること)は不可能ですよ、という話です。

②実質的な理由~生殖&親子関係に関する相違

「婚姻とは、婚姻当事者及びその家族の身分関係を形成し、戸籍によってその身分関係が公証され、その身分に応じた種々の権利義務を伴う法的地位が付与されるという、身分関係と結び付いた複合的な法的効果を同時又は異時に生じさせる法律行為であると解されるところ、生殖を前提とした規定……や実子に関する規定……など、本件規定を前提とすると、同性婚の場合には、異性婚の場合とは異なる身分関係や法的地位を生じさせることを検討する必要がある部分もあると考えられ、同性婚という制度を、憲法13条の解釈のみによって直接導き出すことは困難である。」

こちらは(結論は①と同じことを言っていますが)、同性愛者同士の婚姻の場合、セックスをして血の繋がった子どもをつくることができない等、異性愛者同士の婚姻とは生物学的に異なる事情があるのだから、その辺りを考慮して(立法府が)制度設計する必要があるよね、という話です。

以上のロジックに基づいて、本判決は、本件規定は憲法13条に違反していないとの結論に至ったのです。

裁判所は、24条と13条に関する判断の冒頭で以下の判示を行っており、まさにこのようなスタンスに基づいて合憲の判断をしたものと思われます。

「婚姻及び家族に関する事項は、国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ、それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断を行うことによって定められるべきものである。したがって、その内容の詳細については、憲法が一義的に定めるものではなく、法律によってこれを具体化することがふさわしいものと考えられる。」

意地悪な見方をすれば、裁判所は、「同性婚等の婚姻&家族に関する判断は裁判所ではできねぇよ!それは立法府が社会状況を見ながら制度設計しろよ!」と言っています。
24条を形式的な歴史解釈&文言解釈で片付けて、13条についても立法府に丸投げするというのは、まさにこのスタンスに基づいていると言えるかと。(良い悪いの話ではありません。)

そしてこのスタンスは14条1項の判断でも色濃く反映されているのですが、それでもなお、本判決が14条1項違反を言い渡した、というところが本判決の意義になるかと思います。

3.本件規定が憲法14条1項に違反するか否か

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

さて、ここが本題の部分です。
こちらの判断においても、上記スタンスが再度述べられ、「立法府は、同性間の婚姻及び家族に関する事項を定めるについて、広範な立法裁量を有している」と判示しています。

しかし、14条1項というのは「平等」の話なので、24条や13条とは異なり、同性愛者に婚姻の自由が認められるか(24条)、同性婚を求める権利はあるか(13条)という話ではなく、異性愛者と同性愛者で取り扱いが異なることは正当化されるか、という話になります。

そこについて具体的に述べているのは以下の判示。

「本件規定は、異性婚についてのみ定めているところ、異性愛者のカップルは、婚姻することにより婚姻によって生じる法的効果を享受するか、婚姻せずそのような法的効果を受けないかを選択することができるが、同性愛者のカップルは、婚姻を欲したとしても婚姻することができず、婚姻によって生じる法的効果を享受することはできない。そうすると、異性愛者と同性愛者との間には、上記の点で区別取扱いがあるということができる。……立法府が、同性間の婚姻及び家族に関する事項について広範な立法裁量を有している〔としても〕……、本件区別取扱いが合理的根拠に基づくものであり、立法府の上記裁量権の範囲内のものであるかは、検討されなければならない。」

難しい言葉を使っていますが、要するに、異性愛者は結婚するかどうか選択できるけど、同性愛者は結婚できないというのは、取扱いに「違い」があるよね!と当たり前のことを言っています(これを「差別」と言わず、「区別取扱い」と言うところに裁判所の技巧を感じますね。なお、原告は「別異取扱い」と言っています。)。
そして、この「違い」については、裁判所は「立法府の問題ですから」とは言わず、我々が乗り出しましょう!!と言っているのです。
24条・13条に関する判断時のスタンスは引き継ぎつつも、テンション(?)が違うことは分かりますでしょうか。(お、なんか言ってくれそう、という雰囲気がありますよね。)

では、本件区別取扱いは合理的根拠を有するのでしょうか。

まず、本判決は、本件区別取扱いの性質(=検討対象)を以下のように画定しています。

「性的指向は、自らの意思に関わらず決定される個人の性質であるといえ、性別、人種などと同様のものということができる。このような人の意思によって選択・変更できない事柄に基づく区別取扱い……」

性的指向は自分ではどうすることもできない性質の事柄であって、そのような性質に基づく区別取扱いについて判断しますよ~と言っているのです。
つまり、本判決は、このような性質に基づく区別取扱いに関する判断なのであって、自分の意思によって選択可能だと判断されるものに関する区別取扱いについては問題にしていないのです。(ここは結構重要だと思います。)

本判決は、「異性愛者」と「同性愛者」しか存在しない世界で構成されており、この両者の区別取扱いのみを問題としています。そして、性的指向を「人生の初期か出生前に決定され、選択するものではない」と判示しており、セクシュアリティの可変性やグラデーションを想定していないのです。

つまり、司法(又は社会)が可変的・選択可能であると判断した性質の事柄に関する区別取扱いは、本判決の枠組みでは一切救済されない可能性があるのではないかと考えます。
例えば、本判決に従えば、バイセクシュアルの婚姻の自由はどのように解釈されるのでしょうか。また、長年、異性愛者として自認して生きてきた人物が年を重ねてから同性を好きになった場合、その人物は「同性愛者」として(裁判所に)認められるのでしょうか。
(正しい答えは誰にも分からないので、考えてみてください。)

さて、話を元に戻します。裁判所は、上記区別取扱いについて、以下の判断枠組みを採用しています。

「人の意思によって選択・変更できない事柄に基づく区別取扱いが合理的根拠を有するか否かの検討は、その立法事実の有無・内容、立法目的、制約される法的利益の内容などに照らして真にやむを得ない区別取扱いであるか否かの観点から慎重にされなければならない。」

ここでは、判断枠組みとして3つの要素が挙げられています。
①立法事実の有無・内容
②立法目的
③制約される法的利益の内容

そして、判断の“厳しさ”として「真にやむを得ない区別取扱いであるか否か」という文言を使用しています。
ここは、例えば「合理的な区別取扱いであるか否か」という文言もあり得たと思うのですが、あえて、かなり強い言葉を持ってきていることからも分かるとおり、これまでの「立法府にお任せ!」的な態度からは一変しており、裁判所が厳格に区別取扱いについて判断するという姿勢を打ち出してきています。

具体的な判断を見ていきましょう。上記①~③のうち、③制約される法的利益の内容に関する判断が最初に行われています。
まず、「現在においても、法律婚を尊重する意識が幅広く浸透しているとみられる」としたうえで、「婚姻することにより、婚姻によって生じる法的効果を享受することは、法的利益であると解するのが相当である。」と判示しています。
その理由として、以下①~⑤を挙げています。
①明治民法から現行民法に至るまで、一貫して、婚姻という制度が維持されてきたこと
②諸外国と比べても婚姻率は高く、婚姻外で生まれる嫡出でない子の割合は低いこと
③国民の意識としても婚姻をすることに肯定的な意見が過半数を大きく上回っていること
④内閣も、法律婚を尊重する国民意識が幅広く浸透していると認識していること
⑤事実婚にも婚姻と同様の法的保障が与えられるにもかかわらず、なお婚姻という制度が維持されていること

これら①~⑤の理由から、婚姻による法的効果=法的利益であるとし、「異性愛者にとって重要な法的利益である」と判示しています。

続いて、区別取扱いの是非について、以下のように結論づけます。

「異性愛者と同性愛者の差異は、性的指向が異なることのみであり、かつ、性的指向は人の意思によって選択・変更できるものではないことに照らせば、異性愛者と同性愛者との間で、婚姻によって生じる法的効果を享受する利益の価値に差異があるとする理由はなく、そのような法的利益は、同性愛者であっても、異性愛者であっても、等しく享有し得るものと解するのが相当である。」

ここで裁判所が問題にしているのは、婚姻制度の有無ではなくて、「婚姻によって生じる法的効果」です。この法的効果で区別取扱いがなされていることが問題だと言っているのです。
そして、ここでも「性的指向は人の意思によって選択・変更できるものではないこと」が結論に効いていることは確認しておきましょう。

次に、②立法目的の判断が続きます。
・明治民法の立法目的について

「同性愛とは精神疾患にり患した状態であり、同性愛者間において婚姻を欲したとしても、それは精神疾患が原因となっているためであって、同性愛者間においては社会通念に合致した正常な婚姻関係を営むことができないと考えられたことから、法令によって禁止するまでもないとされた」
「しかしながら、平成4年頃までには、……同性愛が精神疾患であることを前提として同性婚を否定した科学的、医学的根拠は失われた」

・現行民法の立法目的について

「本件規定は、夫婦が子を産み育てながら共同生活を送るという関係に対して、法的保護を与えることを重要な目的としている〔が〕……、子の有無、子をつくる意思・能力の有無にかかわらず夫婦の共同生活自体の保護も、本件規定の重要な目的である」
「婚姻の本質は、両性が永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯な意思をもって共同生活を営むことにあるが、異性愛者と同性愛者の差異は性的指向の違いのみであることからすれば、同性愛者であっても、その性的指向と合致する同性との間で、婚姻している異性同士と同様、婚姻の本質を伴った共同生活を営むことができる」
「本件規定が、同性愛者が異性愛者と同様に上記婚姻の本質を伴った共同生活を営んでいる場合に、これに対する一切の法的保護を否定する趣旨・目的まで有するものと解するのは相当ではない。」

民法の立法趣旨からしても、本件区別取扱いは正当化され得ないという結論に至っています。
その理由を簡潔にまとめると、以下①~③のとおり。
①明治時代には同性愛は精神疾患とされていたが、平成4年頃からこのような知見の科学的根拠は失われた
②子の有無にかかわらず、共同生活自体の保護も民法の重要な目的である
③婚姻の本質を伴った共同生活は異性愛者も同性愛者も同じように営むことができる

これ、つまり、現行民法は同性婚について禁止していないことを意味しています。現状、同性婚に関する定めは単に「無い」だけなのです。

最後に、①立法事実についての判断が行われます。
本判決によれば、区別取扱いにあたって、立法府は下記の立法事実を考慮・斟酌することができます(+はマイノリティに、-はマジョリティに有利に働く立法事実)。
+ 渋谷区ほかのパートナーシップ制度導入
+ 性的指向による区別取扱いを解消すべきという国民意識の高まり
+ 諸外国の同性婚やパートナーシップ制度に関する動向
- 同性婚に否定的な意見や価値観を有する国民が少なからず存在すること

しかし、同性婚に否定的な国民の存在については、力強く、「限定的に斟酌されるべきものといわざるを得ない」として、立法府の裁量に限定を付しているので、詳しく見ておきましょう。

「しかしながら、……同性愛はいかなる意味でも精神疾患ではなく、自らの意思に基づいて選択・変更できるものではないことは、現在においては確立した知見になっている。同性愛者は、我が国においてはごく少数であり、……圧倒的多数派である異性愛者の理解又は許容がなければ、同性愛者のカップルは、重要な法的利益である婚姻によって生じる法的効果を享受する利益の一部であってもこれを受け得ないとするのは、同性愛者のカップルを保護することによって我が国の伝統的な家族観に多少なりとも変容をもたらすであろうことを考慮しても、異性愛者と比して、自らの意思で同性愛を選択したのではない同性愛者の保護にあまりに欠けるといわざるを得ない。」

ここが本判決(少なくとも14条1項の判断)で重要なところだと思います。
本判決は、同性婚に否定的な国民感情や伝統的家族観に対して配慮することは認めつつも、①マイノリティであること、②婚姻による法的利益は重要であること、③同性愛は自らの意思で選択できないこと、を理由に、国民感情を限定的に斟酌しろと言っているのです。

これは裏返せば、①マイノリティであることだけでは、本判決の枠組みでは同性愛者(マイノリティ)に対する救済を肯定できないことが示されています。
そして、③がここでも強調されていることは再度着目しておいても良いでしょう。

以上で、本判決における判断枠組みに沿った個々の判断が完了しました。
最後に、総仕上げに入っていきます。

まず、最終的な結論を確認しておきましょう。

「本件規定が、異性愛者に対しては婚姻という制度を利用する機会を提供しているにもかかわらず、同性愛者に対しては、婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないとしていることは、立法府が広範な立法裁量を有することを前提としても、その裁量権の範囲を超えたものであるといわざるを得ず、本件区別取扱いは、その限度で合理的根拠を欠く差別的取扱いに当たる」
「したがって、本件規定は、上記の限度で憲法14条1項に違反すると認めるのが相当である。」

「法的効果の一部ですらも」「その限度で」「上記の限度で」と、裁判所はかなり慎重に14条1項違反を結論づけています。
これはどういうことなのでしょうか。この判示の少し前の判示を見てみましょう。

「同性間の婚姻や家族に関する制度は、その内容が一義的ではなく、同性間であるがゆえに必然的に異性間の婚姻や家族に関する制度と全く同じ制度とはならない(全く同じ制度にはできない)こと、憲法から同性婚という具体的制度を解釈によって導き出すことはでき〔ず〕、……この点で、立法府の裁量判断を待たなければならない」

同性婚と異性婚を全く同じ制度にはできないというのは、13条の判断で述べられていた“生殖&親子関係に関する相違”だと読むのが自然な読み方になるでしょうか。
そうであれば、本判決が容認する立法府の裁量はそこまで広いものではなく、同性愛と異性愛の生物学的な違いのみによって、制度の差を設計することが求められます。

しかし、以下のような判示が続くのです。

「我が国には、同性婚に対する否定的な意見や価値観を有する国民が少なからずおり、また、明治民法以来、婚姻とは社会の風俗や社会通念によって定義されてきたものであって、婚姻及び家族に関する事項は、国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ、それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断を行うことによって定められるべきものである」

限定的に斟酌すべしとは言うものの、立法府が国の伝統やマジョリティに対する配慮をすること自体は認めているのです。

そして、以下のような結論を述べます。

「立法府が、同性間の婚姻や家族に関する事項に定めるについて有する広範な立法裁量の中で上記のような事情を考慮し、本件規定を同性間にも適用するには至らないのであれば、そのことが直ちに合理的根拠を欠くものと解することはできない。」

つまり、24条や13条の判断と同様に、14条1項との関係においても、現行の婚姻制度をそのまま同性愛者に適用するというかたちでの「同性婚」を創設しないことは、憲法上許されるということになります。

では、具体的な14条1項違反は何かというと、先に引用したとおり、「婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないとしていること」なのです。
(その理由として、これまで述べてきたこと(同性愛は選べないこと、各種の立法事実)が挙げられ、上記の結論に至ります。)

この「法的効果の一部」をどのように解釈するのかによって、本判決の評価は大きく分かれるのではないでしょうか。
(a)マイノリティ保護を強く打ち出して、本判決は、生殖や親子関係に関する規定をそのまま同性愛者に適用できないと言っているだけであり、立法府は、それらの規定以外については同性愛者に対して同様の法的利益を実現すべく立法を行うべきなのだ、とする解釈。
(b)マジョリティへの配慮を強く打ち出して、本判決は、国の伝統や国民感情へ配慮する余地を立法府に認めているのだから、立法府は、あくまでも現行の婚姻制度の「一部」を同性愛者に適用するような立法を行うことで十分である、とする解釈。

以上が本判決の(私の)理解となります。みなさんはどのように本判決を「読む」でしょうか。(a,bは両極端な解釈ですし、第3、第4の解釈もあり得ると思います。)

結論だけを簡単にまとめておくと、以下のような感じでしょうか。

・憲法24条は異性愛の婚姻について定めたものであり、憲法13条から同性婚を求める権利を直接導くこともできない。
・しかし、憲法も民法も、同性婚を禁止していない。
・同性婚は異性婚とは異なる部分もあるので、それをどのように制度設計するのかは立法府の仕事であり、裁判所の仕事ではない。
・ただし、同性愛者に対して「婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないとしていること」は憲法14条1項に違反しており、各種の立法事実や国民感情を考慮しつつ(国民感情は限定的に斟酌)、立法府はこのような区別取扱いを是正しなければならない。

4.本判決の評価(おまけ)

おまけとして、原告(同性愛カップルたち)の主張と本判決の判断枠組みの違いについて、14条1項に関するものの一部だけを取り上げつつ、少しだけ本判決の評価について考えてみたいと思います。

原告の主張(の一部)
①性的指向は自らの意思でコントロールできるものではない
②同性愛者は婚姻の自由という憲法上の権利が制約されている
③同性愛者は圧倒的な社会的少数者であるから、別異取扱いの合理性は厳格に審査されるべき

裁判所は、主張①と③はしっかりと取り入れています。しかし、②は明確に否定しているのです。
マイノリティ保護を法的に達成するためには、婚姻の自由という憲法上の権利を振りかざす方が圧倒的に近道です。しかし、裁判所は、憲法24条の判断で見たように、同性愛者には婚姻の自由は保障されていないと判示しました。
そうすると、裁判所としては、マイノリティ保護を肯定するための大きな武器を1つ失うことになります。
そこで、本判決は、①を全面に押し出し、同性愛が選択不可能なものであることを随所で繰り返し強調することによって、14条1項違反への道筋を確保したのだと思われます。
(もちろん、これ以外にも14条1項違反を肯定する根拠はたくさん挙げられていますが、やはり、同性愛が選択不可能であることが結論を補強している度合いはかなりのものであるという印象を受けます。)

何が言いたいかというと、
「結婚の自由をすべての人に」
という一般社団法人「Marriage for All Japan」の信念は明確に否定され、憲法は異性愛者にのみ婚姻の自由を保障していると判断されたのです。
その結果、そこから外れる人たちが婚姻に準ずる何らかの法的な保障を(本判決を根拠として)受けるためには、“自分では変え難い何か”によって憲法上の保障が受けられないのであるということを主張していかなければならないのです。

重要なのは、このことが、上記(a)の解釈を採用したとしても同じだということです。
本判決が、単に同性愛と異性愛の違いのみを考慮して婚姻制度的な何かを制定することを立法府に課すものであるとしても、その保障を受けられるのは、「すべての人」ではないのです。

原告側が戦略的に①を主張したことは何も間違っておらず、また、性的指向が自らの意思によって決定できるものでない(場合が多い)ことは事実です。
しかし、そんなことに関係なく、誰でも婚姻制度にアクセスできるという状態がゴールなのではないでしょうか。
本判決は、間違いなく大きな前進です。前に進んだのです。しかし、目指すゴールに直進したわけではなく、いわば斜めに前進したことは、きちんと評価として受け止められる必要があるのではないかと思います。

なお、付言しておくと、同性愛含む「すべての人」に「婚姻の自由」を認めるという判断を示したとしても、その具体的な制度設計を立法府に委ねることは可能なはずです。
にもかかわらず、憲法24条の文言が異性愛を想起させること、現行の婚姻制度をダイレクトに同性愛者に適用できないこと、国民感情が追い付いていないことを理由に「婚姻の自由」を異性愛者に限定し、同性愛者には「婚姻によって生じる法的効果の一部」のみを保障すべしと判示した本判決は、結論を論理的に正当化することに失敗していると思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。

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