百合姫読切感想・考察集⑧「海から来たメイドさん」
暑い。
今年の夏は猛暑の見込み。6月までは夜風も涼しく、眠れない日も無かったのだが、7月に入ると一転して纏わりつくような熱気が暗闇の中から襲ってくるような日が続いている。
…夏と言えば海。青い空、遠くの空には立体の入道雲。波の音にカモメの鳴き声。どこまでも続く海沿いの道…。やはり夏の海は素晴らしい。海はロマンと恋が作られる場所…。
というわけで、何のひねりも無い前置きで申し訳ないが、今回はコミック百合姫8月号に掲載された読切作品、「もずくず/海から来たメイドさん」の感想・考察を書いていきたい。もう9月号出ちゃったけどね。
あらすじ:海辺を散歩中、波打ち際で倒れていた女性を「人魚」と思った少女は、女性を家に連れ帰る。女性の正体とは果たして…?
※登場人物について、ここでは便宜的に「お嬢様」「メイドさん」と呼ぶことにします。
・正直微妙…?
私が本作を一読した後、最初に頭の中に思い浮かんだ感想はなんだったかよく分からない。それほど本作は個人的に「意外」なものであった。というのも、本作の作者である「もずくず」氏は、これまで、1作目の「トリートメントタイム」、2作目の「明るすぎる窓辺」、3作目の「ほんの雨宿り」とコミック百合姫に読切を寄稿しており、特に2作目と3作目では少し暗めの雰囲気を纏わせつつ、登場人物間の絶妙な距離感を見事に表現していた。
その流れで本作である。そう、まさかのコメディである。いや、別にそれはいいのだが、全体的に流れがシュールすぎる。最初にカニが「肉だ~♪」と浜に打ち上げられたメイドさんに群がるシーンから、ある種の「不穏さ」を感じてはいたが、ウツボが「人肉♪」と話していたり、ポプテピピックやちょぼらうにょぽみ先生を彷彿とさせる料理された魚のプレート、傷口に塩を塗る(物理)、オチは爽やかな風景とは裏腹にペット化…。なんといえば良いのか、まぁいろんな意味で濃い作品であることは間違いないだろう。メイドさんの私服シーンではマーメイドを意識したような配置になっていたり、記憶が戻る前のメイドさんでもお嬢様に敬語を使うシーンが多い(=本能的に元々仕えていた主人のことを意識している)など、細かなシーンで気を使っている部分は多いのだが…。
また、真面目なシーンも多く存在するのだが、明らかにそっち(シリアス)方面に持っていかないような造りになっている。お嬢様に対して「かわいい」と最初に思ったシーンは、水槽の魚が「どうも!」とお辞儀をするコマが挿入されているし、メイドさんが記憶を取り戻して「やっぱり人魚じゃなかった」と言うシーンでは、山盛りの塩が傷口に乗っかっているシュールな光景からスタートする。かといって、全体を通して不条理ギャグという程でもないし、ストレートな笑いを狙っているわけでもない。言ってしまえば中途半端な出来になっているようにも思える。
では肝心の百合部分はどうかというと、これまた強引さは否めない。出会いのインパクトは十分なのだが、そこからの展開はテンポの良さと引き換えに説明不足な感がする。後半まではメイドさんの方がお嬢様に好意を持っていたような様子だったが、最後メイドさんの記憶が戻った時に仕掛けたのはお嬢様の方というのもなんとなく流れとして合わない気もする。この時点でお嬢様は、メイドさんが離れていくことに対して「またつまらない毎日が始まるのか」としか思っていないのだから、最後の仕掛けはメイドさんからして欲しかった。
ということで、ぱっと見ストーリー面・コメディ面・百合面で見ても個人的には今一つ、中途半端な作品という感が否めない出来であった。しかし、ここまで作者・もずくず氏が描いた3作品のレベルを見る限り、そのような表面的な見方で評価を下すのは早計であろう。というわけで、今回も深読み・考察をしたいと思う。
・メイドさんはやっぱりマーメイドさんだった?
まずはメイドさんの素性について考えていきたい。初っ端からプライベートビーチに打ち上げられていたという衝撃の登場をするのだが、記憶喪失で自分が何者か分からないということで、名前を始め殆どのことは作中で明らかにならない。後半で、元々メイドとしてお嬢様に仕えていたことが分かり、何故辞めることになったかまでが断片的に明かされる。
メイドさんが自身の記憶を思い出したシーンを整理すると、元々メイドさんはこの屋敷に仕えていたが、度重なるミス(作中だと掃除中にツボを割るなど)で役立たずの烙印を押され、屋敷を首になる―というものであった。その後、メイドさんはプライベートビーチで入水するが、結局助かって本作の冒頭へ…という感じである。しかしながら、この屋敷に勤める前にメイドさんはどこにいたのか、帰る場所がないとはどのような意味なのか、その辺りは明かされない。
この辺りのシーンで、いくつかの疑問が発生する。まず1つにメイドさんが「帰る場所がない」と言っていたが、このことからメイドさんは屋敷に住み込みで働いていたことが分かるし、屋敷を追い出されると行く当てがない=実家などに帰れない、と予想される。これは屋敷を追い出された後に「何もできない自分が嫌になって」という理由で入水しているのだが、身寄りのあるものがそのような状況になれば、便りのなくなった縁者が何らかのアクションを取るのが自然ではないか?という考えからも妥当ではないかと思う。しかしこの場合、この屋敷はなんら身寄りのない娘をメイドとして雇ったことになる。本編のシーンから、人事権はお嬢様がすべて持っているわけではなく、恐らくその父親などが持っているだろうし、世間に公表されていないお嬢様を隠している場所とはいえ、お嬢様の服装や行動から決して邪険に扱われているわけではなく、寧ろ大事に育てられているとさえ思える。そのような状況で、身寄りのない娘をメイドとして雇うだろうか?お嬢様の存在を世間にばらしたい勢力(いるか分からないが)などのスパイという可能性もあるし、何より大事に育てている娘が住む屋敷のメイドであればそのスキルもある程度は審査していると考えるのが自然である。
かといって、メイドさんは「家事スキル」のおかげで屋敷に就職したとは考えにくい。本編の家事スキルの惨状を見ればそうだし、回想シーンや本人の談からも、メイドさんの家事スキルは「役立たず」と評されるレベルであることは間違いない。そして身寄りもない…。どうやってメイドになったというのか。
そう、これは魔法である。「身分保障」があり、さらに「家事スキル」があるということを魔法で騙して就職したのだ。つまり、メイドさんはやっぱりマーメイドだったのだ。
いきなり何言ってんだこいつ、暑さで頭やられたんか?と思わないでほしい。
事の顛末はこうである。
マーメイドだったメイドさんは、海からいつもビーチを散歩しているお嬢様を見ていた。夜になると屋敷の二階の窓を通して、浮かない顔で本を読む彼女の姿が見える。この狭い空間の中で生きているお嬢様を楽しませたい・助けてあげたいと、メイドさんは海の魔女に頼んで人間の姿にしてもらう薬を得る。その代償として、動機であるお嬢様を楽しませたい、という気持ち以外の記憶を失うメイドさんだったが、魔女の薬の力で無事屋敷のメイドさんになる。しかし、マーメイドであるという記憶を失い、自分のスキルも覚束ない中、ミスを連発し屋敷を追い出されてしまう。お嬢様のことはずっと心配ではあったが、満身創痍のまま姿を見せるわけにもいかず、また規則でお嬢様との接触が禁止されている中、どうすることも出来なかった。結局メイドさんは不甲斐なさに己を責め続け入水した…。
いや無理があるだろ。ちなみに「人間になるためのテストとして人間を幸福にさせる、というミッションをやりにきたマーメイドさん」というパターンも考えたり。どちらもアンデルセンの「人魚姫」のストーリーの一部に準拠した感じである。でも流石にないよなぁ…。一応、実はマーメイドさん説だと、魚類の言葉が出ていることとか、タコに好かれている辺りの説明がつくのだが(別にただの演出だとは思うのだが)。あとお嬢様がメイドさんに塩を塗り付けるシーンも、実は塗り付けた塩の形が盛り塩になったことで、メイドさんにかかっていた呪い的な何かが祓われたために記憶が戻ったのかもしれない。呪いってなんぞやって?知らん。まぁ表紙絵で盛り塩してるのがちょっと気になって…。
・終末系作品に連なる百合?
さて、ここまで構成部分について余りいい評価をしてこなかったのだが、百合作品としてはどうだろうか。先程少しだけ百合についても感想を述べたのだが、少し詳しく考えていこうと思う。
まず作中で「世間知らず」と言われ、正直そんな言葉で済ませられるレベルではないお嬢様の行動だと思うのだが、これは恐らく小さい頃からこの屋敷に「軟禁」されているが故であろう。本などから得た知識としては知っていても、使用人すら顔を合わせない生活様式では社会性を身に着けるのは困難であり、自身の行動が常識的かどうか、その場にあった行動かどうかを判断する術が無いため、作中のような行動を取ったと考えられる。そしてこれからは、お嬢様と接するのがメイドさんだけで、今後はこの二人の世界こそがお嬢様の社会になり、構築される社会性の原資となる。お嬢様の世界はメイドさんと二人だけで作られるものであり、メイドさんはお嬢様に「喜んでほしい」という動機や、お嬢様に「必要とされている」という部分があるかぎり、永遠にお嬢様の元にいるだろう。
つまり、この世界にはお嬢様とメイドさん、この二人しか存在しない。そう、本作は少女終末旅行のような終末系作品とある意味同義であり、「この世に二人しか対象が存在しない場合、このペアをもって百合と言えるのか」という議論を提起している作品の1つと言えるのである。本作中では恋愛的な要素はほぼ出てこないといっていいと思うが、将来的にこの二人の間に「恋愛」的な要素が誕生するかは分からない。しかし、二人の間に何らかの関係が生まれることは確定であり、そこに「主従」「メルヘン」といった要素を加えることでオリジナリティのある「百合」を生み出しているのである。
とはいえど、結局本作だけでは二人の絡みがコメディ寄りで、かつ薄いと言わざるを得ない。百合作品を読んでいるという感じがなく、やはりコメディ、それもなかなか難しいようなものを見せられているような気分であった。
・おわりに
正直好意的に考察しようにも、ちょっと難しい所があったかな、という感じでした。先述の「お嬢様は寧ろ大事にされていた」という所も、途中のコマでメイドさんが割ったであろうツボをテープで仮補強してそのまま飾っているんですよね。流石に雑な感が否めないというか、この家の使用人にとって、この仕事はこの程度のものであると解釈出来そうというか。自分で髪を結えたりするのは他の使用人と隔離されて育ってきたからということだと思うのだけれど、そこまで隔離を徹底しているのであれば、メイドさんが「ペット枠」で住むことになった、というオチも些か不自然でないかと思う。それぞれの要素が結構矛盾して、「どうしてそうなっているのか」が説明しにくい作品でした。ここまで3作品の百合表現力が高かっただけに、個人的には少し残念だったか、という所でしょうか。
というわけで、誰か「こういう解釈じゃないの?」とお考えの方がいれば是非教えてください。駄文失礼いたしました。
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