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八意思兼命 大阪箕面

箕面市粟生間谷 
五字(ごあざ)神社。

3月頃の参拝です☺️

やごころおもいかねの神様に
お参りしてきました。

八意思兼命(やごころおもいかね)は思金神、常世思金神、思兼神、常世思金神、など古事記、日本書紀によって異なる表記がされる。

天の岩戸神話や国譲りの際に
智慧を使い活躍された神様。

高皇産霊神の子
であり、
信濃国に降り立って信乃阿智祝部(あちはふりべ)の祖になり、
知々夫国造の祖ともなったとされる。


思金神の子に天表春命・天下春命がいる。

明治に素戔嗚神社に合祀され、
昭和に社殿復興。
埼玉県 秩父神社
より御分霊を授かり祀る。
お耳がかわいい
コロンとしたかわいいフォルム💛
↑鳥居と社殿、注連縄のぶらぶらしたやつ、立派でした✨


御祭神 八意思兼命(やごころおもいかねのみこと) 壱座

祭神の事績
高皇産霊神の御子多くの人が思慮する
知恵を一人で兼ね持っている賢明な神である。
天照大神が天石窟にお隠れになった時に八百万の神は天安河辺に集いて謀られた。思兼命は深慮の末、常世の長泣鳥を集めて鳴かせ 天児屋根命 太玉命に祈祷らせ 天鈿女命には歌舞させるなど適切な処置をとられたので天照大神は再び高天原にお出ましになり天の下は明るくなった。
また天孫降臨の際 天照大神は大国主命に国譲りを望まれ 思兼命は使者の人選など適当な方策を立て円満のうちにこの実現をはかられたのち高天原に残って天照大神を補佐されたという神である。

神社の由来
この地からは二万年前ごろの石器が拾得され人間の足跡が明らかになった
その後 長年月の間に住民が増え開拓が進み の生育が良いので粟生と呼ぶようになったという 村人は最も聡明叡智の八意思兼命を信仰し氏神として祀った 以来幾星霜 この神社を護って平和な生活を続けてきたのである

二万年前ごろの石器、興味深い✨


そして、五字(ごあざ)神社から、
数km離れたところに五字(ごじ)神社。
同じ八意思兼神が祀られています。

五字(ごじ)神社
御祭神
八意思兼神(護地明神)
三宝荒神
愛宕権現(かぐつちのかみ)
こんにちはー。
なでなで💓
どんぐりの木かな?
牛頭天王もいらっしゃいました。


八意思兼神。

智慧を出して指揮を取りまとめるリーダーみたいなイメージでしょうか?🌟


天の岩戸で活躍された神様、また何か繋がりが見つかるかなー🌿


どちらも小さいけれどすてきな神社でした✨


最後まで見てくださりありがとうございます💛😊

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