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猪名津彦神社


から4人の織工女を連れてきた渡来人阿知使主、都加使主(あちのおみ、つかのおみ)両人を祀る猪名津彦神社(大阪府池田市宇保町)

ご祭神 阿智使主 都加使主
猪名津彦大明神由来

当猪名津彦神社は後漢の孝献皇帝(霊帝)聖裔の阿智王、都加王の両人を祀るところで延喜式に云う摂津国豊嶋郡
に鎮座する神社である。
日本書紀に応神天皇二十年秋九月 
阿智使主其子都加使主は部下十七県の人たちを連れて我が国に渡来大和国檜隈住居を与えられ同天皇三十七年春二月両人を勅使として呉国に
織工女をもとめしめんと呉王より
兄媛、弟媛、烏沙架女、幾利区に女
(えひめ、おとひめ、うさかめ、いくりくにめ)の四媛女を與えられ同四十一年春二月阿知使主ら呉国より筑紫に帰着したが胸形大神の乞いに兄媛を差し上げ他の三婦女を伴い摂津国武庫に到る時に天皇崩御の報に接し献ずるを得ず、後仁徳天皇は豊島郡為那野に造営し羅綾織紝を専らにされその功績によりこの地を呉服と名付け反生天皇は勅令を持って送り名をされ猪名津彦大明神として
これが倭漢直(やまとあやめあたい)の祖である。降って、允恭天皇の時その子孫忘奴手直に阪上姓を弟奴留間直に䄅姓を賜う。文化年間に古墳の洞窟がはやり阿智使主の古墳と伝えられたところも其の例に漏れず行われこの所より朱塗の棺破片人骨の若干を持ち帰れり。猪名津彦大明神跡に埋葬し、御霊は現地(為那津比古大明神)にお祀りしものである。

伊居太神社の御文章を書写したものであります

と書いてある。

渡来人が居住してたらしい、
大和国檜隈奈良県高市郡にあった地域。

奈良県明日香にある於美阿志神社は猪名津彦神社と同じ、阿知使主とその妻御祭神だそう。

奈良にも繋がるのかぁ。

猪名津彦神社に戻ります。
古墳に使われていた石だそう。


穴織(漢織)が祀られる伊居太神社(池田市綾羽町)の門の手前左側に
為那津比古大明神(猪名津彦)の小さなお社がある。
上記と同じ由来が書いてあった

為那津比古大明神には御霊が祀られて、宇保町の猪名津彦神社には埋葬されてるということかな。

伊居太神社 門

烏沙架女、幾利区王耳女は呉織と漢織(くれは、あやは)の名前なのかな?
伊居太神社の由緒には呉織と漢織となってるんだけどなぜ同じじゃないのか‥


そして猪名津彦(為那津比古)さんとは‥

阿知使主、都加使主両人もしくは
阿知使主さんをさしてイナツヒコさん?


お隣、箕面市石丸にも為那津彦神社があって、そちらのご祭神は為那津比古大神、為那津比売大神だそう。

イナツヒメがでてきた。
ヒメは呉織、漢織ら織工女のことかな?阿知使主の奥様、かな?

イナツヒコ、イナツヒメ‥

イナツヒコさんとは、
渡来人の偉い人、まとめた人、
来てくれた渡来人みんな‥とか?


猪名川、猪名野、猪名部、為那、いな、イナ‥

渡来人に関わるイナ。


猪名部の“部” (ベ)ってどんな意味があるんだろう?

部(べ)上代、ある職能によって朝廷
  に仕えた集団

〜部さんが住んでる地域の名前にもなったりしてるということかな?

阿知使主さんのWikiを見てたら
今度は岡山 阿知神社が出てきた。

神功皇后が航海を祈念して、宗像三女神を祀った神社で、阿知さんの一族が吉備の発展に貢献した。

阿知使主(イナツヒコさん?)は
岡山にもゆかりがあると。

神功皇后もはるか昔だけど
宗像三女神はそれよりもはるか昔から日本を守られた神様なのですね。
大陸から渡る渡来人も日本から大陸へ向かう人も守られていた航海の神様。

しかし至るとこでお見かけする
神功皇后、アクティブだなぁ‥

ちょっと行動力あやかりたい🙏


うさぎかわいい🐇


たくさんで終わった😂

海や川、交易が栄えたところから
渡来人が降り立ち、各地に広まっていった。渡来人が技術や人、日本の発展に、たくさんもたらしてくれた。

前回の域を出ず‥


もう少し何か見つかりそうな気もするんだけど、わからないなぁ。

何に繋がる?


きっと日本からも良きものが海の向こうへ渡ったはずですね✨そう思いたい。行ったり来たり⛵️ありがたや🙏


最後まで見てくださりありがとうございます💛🙇‍♀️

今日の夕日


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