見出し画像

やっぱり、お父さんにも、楽しく生きてて欲しいんだ。

0.「ゆるす」とは何か?

企画メシの最終講義の、プレゼンテーションをきく最中、みなさんの言葉に何度か出てきた「ゆるす」という言葉。

その言葉に触れたとき、自分の中のたくさんの経験が、考えが、頭の中で走馬灯のように駆け巡っていて、

頭に、どくどくと、血液が流れ込んでくる感覚をいただいていました。

「ゆるす」

心から人を「ゆるす」こと。

今の私にとっては、少しだけ難しいことです。
でも、人をゆるせる人であり続けたくて、日々時間を過ごしています。

そして、その人が明るい明日へ迎えるために、少しでも力になれる人になりたいと思っている今があります。
なので、今考えたことを、少しだけ、残させてください☺️

1.本気になりたいことがない人も、懸命に生きているから100点!

唐突にはなってしまうのですが、先に、私一倉莉奈のプレゼンテーションを振り返らせていただきます🙌

企画メシの最終講義で行った、私のプレゼンテーションは「今の自分」が未来に向かうための宣言でした。
「わたしは、今何かを、やり切る経験に向かいたい」
→「でも本気になればなるほど、自分の力の足りなさを実感したり、自分のことを嫌になってしまう時間が多い」

→「そんな時に人を救えるのは、人の温度ある想いだ。」
そんなふうに考えていたので、私は「心に灯をともせる企画者」になりたいとお伝えさせていただきました。

そのため、私の企画を通して、救いたい人は

「不器用で前向きで、一生懸命で、でも足りていない私」
「何かに本気な時に、温度ある誰かの想いに、力をもらえる私」

という、筋にしたつもりでした。
でも、私は、最後まとめの時に「日々を、懸命に生きる人を」救いたい。
という言葉を、素直に発していました。

それは、

「あれ、私って、何かに熱中している人だけを応援したいんだっけ?」

と、どうしても、ひっかかってしまったからです。

私は、前提として「生きている人は全員、日々を懸命に生きている◎」と思っています。

自分で、ご飯を食べていくために。
自分で、周囲との関係を築いていくために。
自分の人生を描いていくために。

困難が1つもない人なんて、いないから。

だから、

「今、本気になりたいことが見つかっていない人」でも
「そもそも本気にになりたい、って思わない人」でも
「リラックスする時間が、大好きな人」でも
「生きている人は、誰でも毎日懸命だ」と、素直に感じています。

そして、その中で、個人が選んでいる、価値観・経験には、優劣も正しさもない、とも思っているのです。

だから、
「何かに熱中していなくても、人間生きていれば最高だし、みんな偉いんや!」という気持ちにも、すごくこだわっていたのだと思います。

「それに拘っているのはなんでなぜだろう?」
自分の感情を整理できずにいたのですが、皆さんの話を聞いて考える中で、
あ、これは、「私の父」がそうだから、だ。
と、気づきました。
心の中の大事な引き出しを開いてもらっていました。

これも、自分にとって大切な思いだな、思うので、ここに残させてもらいたいなと思います。

2.健気で、やさしくて、少し弱さを感じるお父さん。

ここで、そんな「私の父」と「私」の関係について少しだけ紹介させてください。

私は今、大学5年生で一人暮らしをしています。
自分が精神的な自立に近づいていること、また、家族と離れて暮らしていることもあり、
お父さんのことを「不器用で、かわいいな。」と思えるし、好きだということができます。
しかし、実家にいた時は、父のことを、好きとは言うことができませんでした。

なぜか?
私の父は「暴力を振るう」というわけでは全くなくて。

むしろ逆でした。

「心が繊細」でちょっと「弱い」
心は優しいけれど「人生を楽しんでいない人」

それが私からみた、「お父さん」でした。


一言で行ったら「人生に、やりがいなさそう」に見えていたのです。

・仕事は、人間関係で苦労していて、つらそう。
・愚痴は言わないけど、趣味も特にない。
・お酒は一杯で真っ赤になっちゃうから飲まないけれど、人生で唯一の楽しみは、家に帰ってきてポテチを食べること。

こう、ドラマで見たり、小説に出てくる、お父さん像とは少し離れていました。

反対に、両親のもう一人である「母」は、人生への充実感が、常にある人でした。

「逆境をバネに、楽しい方向に向かえるエネルギーが大きい人」だと感じます。

母は、教師なのですが、自分の仕事が大好きで、大変だけど、ずっと楽しそうでした。

毎日、家に帰ると、
「今日は〇〇なことがあってね」
「生徒が〇〇って言っているのが、面白くて」
と、嬉しそうに報告してくれる人でした。
その時間に、楽しそうにしている母の顔を見ることが、私も嬉しくて、大好きでした。

もちろん、生徒が起こすいじめや、保護者とのクレームでの衝突で、泣いたり、体を壊したり、電話で過呼吸になっていたりと、大変なこともあったと思います。
しかし、常に「仕事が好きなんだよね」と、言える母は本当にかっこよく見えていました。

そんな母と父だったからか、2人の間でのギャップが大きくて、より父が弱そうに見えていたのかもしれません。

考えたら、父が、仕事を続けてくれていること自体、本当にありがいことなのだけれど、子供の私からすると、すごく素直に

「お父さんにも人生を、もっと楽しんでほしい。楽しめるんじゃないかな??どうすれば、もっと楽しくなるんだろう」

そう、ぐるぐると考えてしまっていました。

3.お父さんをゆるせなかった過去

そして、思春期になると、自分の父の「人生に充実感がなさそうに見える現象」は、自分にとって「小さな、胸のしこり」になってきます。

すごく情けないのですが「自分の弱さ」を、父のせいにしてしまう時があったのです。
「父は弱い」だから、「私もできない」

何か自分にダメなことが起こった時に、頭の中で、自分のお父さんと結びつけてしまう私がいました。

(大学1年生くらいまで続いていたかな?今振り返ると、その考え方自体が、悲しいですね。自分は自分!「自分のこともっと信じて〜」って思えますが、当時の私はそう感じていました。)

父に関するエピソードで、嫌だったことは思い返すと特に2つです。

1つは、仕事が好きじゃないだけでなく「趣味」もないこと。

私の目からは、「父はこれといった趣味が、ない人」に見えていました。
「仕事が好きじゃなくても、何か生き生きできるものがあったらいいのに」と思っていたのですが、父の趣味と言えば、
たまに見る映画と、ご飯の後に食べるポテチと、戦争小説くらい。

いつもご飯を食べたあとは、ベットで寝転がりながら、私や、妹の、部活動のビデオをみたり、大学のyoutubeを見たりして、嬉しそうにしていました。

その笑顔を見るのは、幸せだし、父に、人生を投影されているとも思わないから良いのですが

「自分の好きなことを見つけて、自分の人生を生きた方が楽しいんじゃないかな?」

そう思ってしまう、自分もいました。

また、私自身にも、大した趣味があったわけではなかったので、
「うちの家族は、文化資本が低い。だから、私も色々な文化に触れられなかったんし、自分に趣味もないんだな」そう思っている時期もありました。
(これは大学1年生の時に、社会学の授業で「文化資本と階級の関係」か何かを学んだ後に影響を受けてしまって考えたことでした。このままぶつけて、母を泣かせた思い出があります。大学1年生の自分、子供だったなぁ...🥺ごめんね...)

また、嫌だったこと2つ目が、父の出す「言葉の低俗さ」でした。
私が何か、舐めた口を聞いたか?
意図して傷つける発言をした時に、

「お前は女なんだから、最悪、体を売って働けばいいんだよ!」

と、父に、言われたことが、過去に三度くらいありました。

(⚠️読んでいて、心がぎゅって苦しくなってしまった方、ごめんなさい。これはもう本当に。最悪ですね。今、書いていても、ダメな言葉だと思います😭お父さん、いつかちゃんと謝ってね...)

ただ、当時を思い返しても「私は直接的に傷ついた」訳ではなく「そんな言葉を出してくる思想の持ち主が、父親だ」という、事実が、恥ずかしかったのだと思います。

そして、同時にそれを伝えてしまう「弱さ」に、引いてしまったんですよね。

下の方は、思い出す中でも、すごく過激なエピソードなので、いつもはもっと穏やかなのですが、、。
ふとした時に感じる

「こんなお父さん恥ずかしい」
そんな想いがあって、私は、父にも変わって欲しいと思っていたのかもしれません。

4.でも同時に、そんな父のこともずっと好きだった。

でも同時に、父に当たっていた時期も、客観的な視点にたつと、父にずっと感謝してたし、素直に好きだったんですよね。それは、



「人の弱さや、感情をゆるしたい、愛していたい」という、柔らかい感情を生んでくれたのは、「身近にいた、『繊細な父』いう存在を、ゆるしたい」と思ったおかげだから。

周りの人から「りなちゃんは、優しいね」と言ってもらう度に、

それはよわさを感じる、父のおかげなんだろうな、と思っている自分がいました。
そして、人にやさしくいたいと、思える自分のことは好きだったので、すごく嬉しく思っていました。


そして、もう1つは、父と母がつくる家族が好きだったということです。


私の父は、私が6才の時に、一度転職のために無職になっています。
そのために、私の家は「教師として働く母、無職の父」という時期が1年くらいありました。
当時、保育園のお迎えは父が来てくれていたのですが、私はそんな自分の「家族」を最高に最先端で、かっこいいと思っていました◎

「お母さんがバリバリ働いているの、めちゃかっこいいでしょう☺️お父さんは、家でご飯作ってるんだよ!なんか新しい時代を、肯定しているなぁ!」と感じていました。自分で書いていて、変わった6歳児だなと思うけど、そんな家族を心からかっこいいと思っていたし、大好きでした。

周りからしたら「当たり前」ではないかもしれないことが誇らしかったですね。


そして、これはすごく素直に。
保育園に、お父さんがお迎えに来てくれて、一緒に夕方のドラマを見たり、不器用ながらご飯初めて四人分作っていることとか、本当に嬉しかったんですよね。
父が、母方の祖母に『炊き込みごはん』作り方を教わって、こんなに簡単に作れるんだね!」って感動しながら、たくさん作ってくれていたこと、今でも思い出せる光景です。

また、今書きながら、思い出して幸せな気持ちになったのですが、
保育園から帰って、「やまとなでしこ」ってドラマを見て、松嶋菜々子さん綺麗だな〜音楽好きだな〜って感じていたあの時間もすごく幸せでした。


今少し思い返してみても、お父さんの全部が嫌な訳では全然なかったのです。

基本的には人当たりはいいし、素直だから話しやすいし、外の人を傷つけるわけではない。

今振り返ってみたら「社会」と関わって行くことがあるからこそ、そんな「弱さ」がでやすい父親だったのかなと。と思います。

5.やっぱり、父に笑っていてほしい。

そして、最後に、これからの話を考えると。
これからもやっぱり、「自分は父に笑っていて欲しい」という思いがあることに気がつきました。

昔みたいに、父に趣味を持って欲しいとも、仕事を楽しんで欲しいとも思わないけれど、ただ、笑っていて欲しいです。

そして、できるだけ、心身ともに健康に、楽しく生きていて欲しい。

そのために、できることがあったり、少しでも喜んでもらえるタイミングがあったら、何かしてみよ!伝えてみよう。と思います☺️

私が人生の中で一番ゆるしたかった父親。
初めに書いた「ゆるすとは何か?」という問いに対して考えてみて分かったこと。

今の私にとって「父」をゆるすということは、
『父と私の、明るい未来を、一緒につくること』

です。(これだけ書いていたらいい娘すぎて、泣いちゃうけど、多分すぐにはなれないので、徐々に頑張ります。)

そのために、
①まず私が、決めたことをやりきって、自信をつける!
②些細な機会に父に喜んでもらう、仕掛けを作ったり、言葉でプレゼントを贈ってみる!

この2つをやってみようと思います。
年末の帰省時に、電車の中で何を贈るかちょっとだけ考えようね自分◎


6,きっかけをありがとうございます...!

そして、最後に、ここのnoteを書いていて当初の目的と大きく逸れた方向に解釈が向かいました。
このnoteは書こうと思った大きな目的は

◎お父さんのせいにしないで、莉奈がやりきりたいなら、やりきれるよ!
このnoteを自分が、やりきるエネルギーをもらう場所しようね😉
ということだったのです。

でも、書いてみて発見できたことは
◎「父に笑顔でいてほしい。やっぱり楽しく生きていて欲しい。そのために、些細なことから父に楽しむきっかけをプレゼントしよう」

と、いう想いでした。
企画メシを通じて、日常の中で、言葉や考え方で「ちょっと笑顔になれるような場所に、自分を運ぶ」癖が少しずつついている気がします...😉

まだやりきれていないけれど..!

そして、最後に感謝をお伝えさせてください。
この父との話は、すぎしんさんの「生きているだけで100点」のプレゼンを聞いて思い出したことでした。
(お名前を出してしまってすみません...🙏)
「生きているってそんなにハードル高い?」という問いは、本当に大切な問いかけだと思います。
すぎしんさんのプレゼンは終始、心の深くに触れていました。
父とのことも思い出してしまったからか、マスクの中で、大泣きしてしまっていました。
改めて心に触れるプレゼンテーション、そして父とのこれからを考えるきっかけをくださって、すぎしんさん本当にありがとうございました...!

年末の帰省、お父さんに少し優しくしてみよ.!と思います🙆‍♀️


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?