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「泥の香」 ~ 蟲たちの春

週末に買った鉢の植替えをしていたら、部屋がヒヤシンスの花と土の匂いで春一杯になった。

年明け以来、フリージアや水仙、ミモザ、菜の花と“黄色”にばかり目が行っていたが、徐々にピンクやラヴェンダーの花に惹かれてゆくのは季節が進んだ証拠。イエローに始まり、梅~桃~桜と”ピンクの饗宴”へと展開するのが春の階(きざはし)なのだろう。こうして私の部屋の彩りもレンギョウの黄色からヒヤシンスの春色に変ってゆく。

花の香りに疎い私は「土」の匂いがむしろ心地よく、植替えをしながらささやかな泥の始末を愉しむ。ヒヤシンスの艶々と白いヒゲ根を包む真っ黒な土からは湿った落葉や砂や色々な匂いが立ち上がり、頭の中が急ににぎやかになってくる。きっと虫の死骸や、もっとミクロな蟲たちの囁きも響いているのだろう。植物をすぐに枯らしてしまう私には、ガーデニングや野菜作りは無理だから、都会の真ん中に土の匂いを求めては街歩きする。

先週末は春らしい陽気に誘われて、梅林で知られる世田谷区の公園を友人と散歩した。例年なら「梅まつり」も催されるという羽根木公園は、丘全体を何百本もの白梅・紅梅が覆い、スーラーの点描のような花の群れに「ほうっ」となる。七分咲きの風通しよい枝ぶりが好ましく「来週末には花も人も“密”だね」なんて言いながら、出口近くの小さな広場まで来た。そこで私たちは楽しい光景に出会うことになる。

子供会の集まりだろうか。幼稚園から小学校低学年の小さな児童たち15人ほどがオバサマ先生の横一列に並んで「解散」を待っている。ところが、お迎えのお父さん・お母さん達を前に先生の「ご挨拶」がなかなか終わらない。目線を下に移すと、その一団の裸足のヒザ小僧から下、ヘタをするとお尻近くまでが田んぼで鬼ごっこしたみたいに”ドロッドロの泥だらけ”なのだ。それが午後の日差しと梅の梢を渡る春風でカピカピに茶色く固まっている。

今どきの東京世田谷でここまでワイルドに遊ばせてくれるとは、先生も親御さんも大したもの。しかも“泥ン子”たちはその姿に似合わず、オシャベリしたり列を崩したりすることもなく、モゾモゾしながらも解散の号令が掛かるのを神妙に待っている。

「虫ちゃんたちおリコウさんだねー。」
「先生ひとりですごいね。けっこう怒るとコワいかな?」

まるで土の中から行儀よく顔を出したフキノトウか、啓蟄(けいちつ)を待ちきれず地上に這い出したダンゴムシ兄弟のような子供たちと、きびしくも子供愛に溢れた先生の見事な“束ねっぷり”と“妙に長いご挨拶”が微笑ましく、私たちは飽かず眺めていた。遠くディスタンスのこちらまで、子供達のつむじの汗や、乾いた泥の匂いが梅の香を押しのけて漂ってくるようだった。

土の匂いは春が似合う。小さいものが蠢きだす気配。生き物が地上の活動を始める勢い。雪どけを喜ぶ土地になくても「春泥」(しゅんでい)の季語はその気分の一端を届けてくれる。泥ン子たちのようなパワーのなくなった大人にとっても、春は蕾のようにゆっくりと想いを膨らませたり、寂しさ半分のリセットと断捨離に重い腰を上げさせたりする季節である。

帰りの小田急線駅のトイレで子供たちの一人とすれ違った。手足を洗いに寄ったのか? まさか泥のまま電車で帰るのでは!? ちょっと先生! “ご挨拶”はほどほど、せめて洗い場で泥を落としてから解散に……そんなふうに目クジラ立てそうな私たちも、この日はなんとなく笑って見送ってしまった。

【連載】余白の匂い
香りを「聞く」と言い慣わす”香道”の世界に迷い込んで十余年。
日々漂う匂いの体験と思いの切れ端を綴る「はなで聞くはなし」
前回の記事:「Scents of Heaven」 ~ 今ここの記

【著者】Ochi-kochi
抜けの良い空間と、静かにそこにある匂いを愉しむ生活者。Photoギャラリーはじめました。「道草 Elegantly Simple」

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