食べたいのは
「私はずっとお弁当ですね。ここ何年かはずっと玄米に雑穀をたくさん混ぜたご飯ですね。健康的だし美味しいし。」
そういう上司のお弁当を覗いてみると、ジブリに出てきそうな美味しそうなお弁当だった。
愛妻弁当。
星がいくつもついているようなレストランで出されるどんな料理よりも愛がこもっている。
「愛妻」ってもうそれだけで響きが素敵。
中高時代、6時過ぎには家を出る私のために毎朝4時に起きて「愛娘」弁当を作ってくれた母親のことを思い出す。
作ってもらうことを当たり前だと思っていた当時の私は、メニューに難癖をつけることもあった。
反抗期だった当時の私は面と向かって感謝の意を示すこともなかった。
だが、今になってやっと分かった。
どんな味だろうが、どんな見た目だろうが、ずっと変わらないメニューだろうが、そこには誰かの想いが吹き込まれているということを。
私の母親はお弁当を色鮮やかに作る天才だった。
だから周りから羨ましがられることのほうが多かった。
相当の時間を費やし、衛生面を考えて、殆ど前日に仕込むことなくその日の朝に調理していた。
もうそれだけでも今の私には真似できない。
小学生の頃から誰にでも好かれる母親だったし、中高時代こそ表に出ることはなかったが、周りの裕福な子たちに劣らないようにと気を遣ってくれていた。
本当にわがままな娘で相当苦労させたと思う。
私も11月で母親が結婚した年齢になる。
私は当時の母親よりもずっとずっと幼稚なままだ。
まだ何一つ追いつけていない。
5年次の病院実習の際、これが私が母親に作ってもらう最後のお弁当月間になるだろうと何枚かお弁当の写真を残した。
教えてもらったことを自分のものにする時期に差し掛かっている。
時間は有限だ。
今のうちにできる限りたくさんのことを吸収しようと思う。