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ヒトは毛につれ毛はヒトにつれ

某温浴施設でひとり湯に浸かっていたところ、母娘連れの娘、推定18-24歳がわき毛をふさふさと生やしているのが目に入り(いいな、冬だなあ)と思った。好きな映画に「君の名は」を挙げるような男性は(女性には脇毛は生えない)と思っている人が相当数いそう…と思うのは偏見でしょうか。

想えばヒトの人生は毛に支配されている。

生まれたて

髪がしっかりしてるね〜 ふさふさしてるね〜 は多分褒め言葉。女の子を産んだ同僚は娘の髪が薄くなかなか結えるようにならないことを軽く悩んでいたかもしれない。何度かそういう話を聞いたのち、結えるようになった、と話していた時の彼女はとても嬉しそうに見えた。ひとりで立った、とか、歯が生えた、と同じで、人間らしくなってきた、成長している ということがとても親を喜ばせる時期なのだろう。

児童期

早くも髪質に個々人の差が現れる。この時期女の子が憧れるのは、太くてしっかりしたふさふさの生命力溢れる髪ではなく、儚げで柔らかくて少なめのどちらかというと赤ちゃんのような髪。ひとつに結うとしめ縄状になる毛量が若者の間でお洒落だとみなされた時代は多分ない。軽やかで滑らかでつやつやが至上。親が成長を喝采した時期から一転、本人はいきなり赤ちゃん帰り。天使の輪とはよく言ったもので、若ければ若いほどいい、みたいな価値観はもうこの辺から徐々に刷り込まれている気もする。あのシャンプートリートメントを使えばこんな髪になるのかも、とCMにまんまと踊らされ親とは違うシャンプーを使い出すのもこの頃ではないか。高学年になると頭髪とは別に男女とも体毛が濃くなってきて、素朴な女子は脇毛を生やしたままプールの授業に出たりしていた。私が温浴施設で脇毛を伸ばした若い女性をみて反射的に(いいな)と感じたのは、母親も本人も「こうあるべき」もしくは「これが無難」という実態のない社会規範からとても自由に見えたからなんだろうな。男子も髭が濃くなるけれど、男性が毎朝髭を剃るようになるのは何歳頃からなのだろう。。

学生期

女の子は髪の毛を茶色にしたくなる時期。今はカラーが一般的だけど、昔は地方と都市部における情報と物質の格差は凄まじく、更にホットロードというヤンキー漫画が大流行していた頃だったので、オキシドールを髪にかける(!)とかビールで洗髪(!!)などの果敢な方法で脱色を試みる猛者がクラスに数名いた。児童期の赤ちゃん帰りからまた一転、今度は大人ぶりたい、なんならスレた感じに見せたい、に急ハンドルを切るイケてる方の女子たち。男子も自分の見た目をようやく意識し始める頃。高校時代同じクラスに机の上に鏡を置いたまま四六時中髪型を気にしている男がいた。バス旅行の最後部席を占領し同じカースト上位の女とほぼキャバクラごっこをしている人たちで辛かった。工業高校に通っていた弟に久しぶりに会ったら、ご多分にもれず剃りを入れ、眉毛が完全になくなっていた。この時期女子も眉毛をいじりたがる(大体細くなる)が、どうして男子は一気に剃り落としてしまうの?これ田舎だけ??

青年期

今の若い人たちを心底羨ましいと思うのは脱毛料金。私が10代の頃、全身脱毛(といってもワキ腕脚)を試みると当然のように100万は超えたと思う。自己処理が必要ないレベルを目指すと多分200万円〜だったのでは。当然そんなお金はなかったので体験したことはないけれど、針脱毛は物凄く痛いものだと聞いた。それが今、中高生が親に連れられ脱毛サロンに美容院感覚でやって来る。なんなら高校生がマックでちょっとバイトすればワキなら楽勝で完了できるぐらいまで料金は下がり、光・レーザー脱毛には我慢できないほどの激烈な痛みはない。技術の進歩凄い。素晴らしい。

女性はとにかく切ったり増やしたり抜いたり曲げたり伸ばしたり色変えたり全身のあらゆる毛を愛でると同時に根絶に向けて格闘する忙しい時期。美容院でカラーやパーマをかけて頭髪を整えたかと思えば、エクステで睫毛を増やし、アイブローサロンで眉毛をワックス脱毛し、化粧のりのために顔脱毛したり、「将来介護を受けるときに気が楽ですよ」という謎のセールストークに全く納得できないままワキ脱毛終了後になんとなくVIO脱毛(この言葉考えた人凄い)へ手を伸ばしたりする。男性は毎日髭を剃り、シェーバーのメーカーにこだわりが出てきたり、癖毛がコンプレックスの人は縮毛矯正に踏み切ったりするのもこの頃。一体ヒトは一生でいくら毛にお金を費やすのだろう。

中年期

児童期に「自分の髪の多さが嫌(軽やかでない、どんくさい)」と母に話すと「歳を取ったら、その量の多さをありがたく感じる時が来るよ」と言われたことをまだ覚えている。私はその時「えー60代とか70代とかそんな先に有り難みを感じても遅いよ(だいたい1999年に世界は終わるんだよ)」と思っていたけれど、想像に反してそれは意外と早く来た。私は40代でもう自分の毛量を有り難く思ってる。少量=幼さ、ではなく、少量=枯れた 感しか出てこなくなるのは何故だろう。肌や髪質変化との相乗効果?高校時代に剃りを入れていた弟はAGAの薬を個人輸入して飲んでた。具体的に行動するのは素敵だ。男女問わず毛は大切。

最近よく思う。仕事を頑張って年俸わずかに上がったところで(私はまだまだ若いですよ、働けますし現役ですよ)というフリをするための頭髪関連課金が年々増えており給与が上がっている実感がほとんどない。例えば職場の平均年齢が40代中盤だけど、女性陣はもう驚くほど皆黒髪。若年層が一部茶髪。白髪を放置している女性は自部署でも他部署でもほとんど見たことがない。私が一切の課金をやめた場合、おそらくもう半分は白髪だろう。顔体型が私とそっくりだった父は40歳になった頃には既に9割が白髪だった。なるべくストレスの少ない生活を心がけてはいるけれど、頭髪含めた身体は遺伝も大きく、抗うにも限界がある。一方の男性陣、勿論染めている人もいるけれど、女性に比べて白髪がありのままである人の多さよ。

女性の先輩と「○○さんの白髪ズルくないですか?」という話で盛り上がったこともある。専門知識に欠けていたり面倒くさい頑固さがあったり交渉の場を支配はできない気の弱さがあったりする人で実際は女性陣とあまり年齢に差がない人でも、男性に白髪があると謎の大御所感が出て交渉相手の雰囲気が微妙に萎縮したりこちらを持ち上げるような風向きの変化を感じることが何度かあった。男性の白髪は風格や貫禄を醸し出す箔付になるけれど、女性のそれはとにかく職場では見かけない。女性は若ければ若いほどいい、はずはなく女性にも貫禄や成熟がモノを言う場面がきっとあるはずなのだけれども、圧倒的な非対称は感じる。

量とか色とか気にするの面倒だから(若者のおしゃれ坊主とはまた別の)坊主にする、という男性が出て来るのもこの頃。早い人はカツラをかぶったり、するのかな。。女装を趣味にしている男性を街中で見かける時は必ず被っている。先日テレビでバ美肉特集を見て本当に感激したので小中学校の必須科目になればいいのに、バ美肉。癌や白血病の治療により脱毛し帽子やウィッグを被っている女性が多い時期でもある。

高年期

鼻毛と眉毛が長くなり、耳の穴に毛が生えてくる男性も多い頃。頭髪はもう完全にボリューム=若々しさの証明になる。初めて報われるしめ縄的一本結び。脱毛サロンのVIOセールストーク「下の介護(つまりオムツ)の時に迷惑かけなくていいですよ」が本当なのかを私もいつかは確認できるのだろうか。温泉行きたいので私は敢行していないのだけれど。

部位と年代により減らしたり増やしたり我儘ボディつーか我儘ヘアです人生は。ヒトは毛につれ毛はヒトにつれ。課金は続くよどこまでも。今年の年間美容院代予算は20万円です。20年前は多分3万切ってた。美容院なんて年に数回、下手すりゃ一回しかいかなかった。南無。。。

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