記憶



赤子を抱く、というのは意外にもありふれた経験ではないらしい。
私が初めて産まれたばかりの赤ちゃんを抱っこしたのは8歳の時だった。数時間前に産まれたばかりの赤ちゃんは意外にも清潔であったかいミルクと汗のようなすっぱい匂いに包まれていた。
赤ちゃんの頭の匂いほど癖になるものはないだろう。嗅覚は人間が一番最初に忘れる感覚だというけれど、今でもあの独特の香りだけは鮮明に思う浮かぶし、想像するだけで頭の匂いを嗅ぎたい衝動に駆られる。



私が8歳の時に抱っこした赤ちゃんはみるみるうちに成長していき、その赤ちゃんがもう赤ちゃんではなくなり始めて2歳を過ぎた頃、そして私が10歳の時の話だ。突然母親が何も言わずに家を出たのだ。
‘’家を出た”というのは家出して2度と帰ってこなかったとか、そのまま事故にあったとかそういう話ではなく文字通り”家を出た”だけだった。
しかし、普段は外出をする時もいつも私か父親に「○○行ってくる〜」と声を掛けて出かける母だったこともあり「もしかしたらこのままもう2度と帰ったこないんじゃないか」とまだ小学生だった私はそう思った。
父親に「ママはどこにいったの?」と聞いても「知らない」の一点張りで機嫌がものすごく悪かった。余計にハラハラしていた。

しばらくすると、お昼寝中の妹が泣きながら起きて来た。

ピギャー!ピギャー!ピギャー!

どうして泣いているのかは分かっていた。おっぱいが欲しいのだ。私は困った。私は妹におっぱいをあげることは出来ない。父親は部屋にこもっていて話しかけれない。母親は外出中でいつ帰ってくるのか、帰ってくるのかも分からない。

ピギャー!ピギャー!ピギャー!

妹が私の胸で泣いている。初めて抱っこしたあの日と同じ抱き方で、同じ泣き顔で泣いている。

ピギャー!ピギャー!うわああああん😭😭😭

私はどうすればいいか分からなくなって妹とハモって号泣した。

ピギャー!ピギャー!うわああああん😭😭😭

妹は訳がわからない顔をしていた。普段は意思が固くて絶対泣き止まない妹が、私の号泣を見て泣き止んだのだ!

うわああああん😭😭帰ってこないね〜😭😭どうしよっか〜😭😭

気がついたら妹よりも私が号泣していた。妹はずっと訳がわからない顔をしていた。小さい頃からしっかり者だった妹のキョトン顔を見るのはきっとこの日が最初で最後だったのだと思う。

この後どうやって私が泣き止んだかとか、妹はお腹をどう満たしたのかとか、ここから先のことは綺麗さっぱり忘れてしまったが、後から聞いた話母親は貧血になっていて病院に行っていたらしい。

今になってからなら子育ての大変さだとか、親は親でもやはり人間なのだとか、はっきり理解することができるけれど子供の時はそうはいかない。
親は親なのだ。
子供は親は親としか認識できないしその基盤が歪むことは恐怖でしかない。子育ては難しい。


ところで、私は最近小学生の子達と遊ぶ機会がよくある。ドッチボールをしたり縄跳びをしたり、この前なんかは教習所ごっこをした。

小さい時の記憶は曖昧で不完全なものかもしれないけれど強く印象に残っていることだっていくつもある。
私もいま関わっている小さい子たちや、妹の記憶になんとなく住み着いている人になれればいいなと思った。

もちろん、いい記憶として!

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