待ち時間

どうやら人身事故が起きたらしい。イヤホンを耳に突っ込んでいたから、気が付かなかった。階段を降りて、ホームのベンチに向かう最中ちらりと横目で見た時間は22:15。次に来る電車の予定は22:21。
ホームのベンチに座って、携帯を眺めながら、インスタを眺めていた。ふっと、目の端に入り込んだ男の人の革靴の踵が、私に時間感覚を取り戻させる。
携帯を眺めることに没頭していた私は、22:23になるまで、電車が到着していないことに気が付かなかった。
22:23の文字を見て、そして茹だるような暑さから表出された汗が気になった。おでこをハンカチで拭きながら、イヤホンを外す。
人身事故だと分かったのは、ツイッターを眺めていたから。不思議に思って、何の気持ちも抱かずにツイッターで路線名を検索したら、真っ先に『〇〇駅で人身事故。見ちゃった』と5分前に呟かれていた。
この路線は急行や快速がビュンビュンと途中の駅を飛ばしていく。そのうえ、安全防止の柵が無い。
飛び込みたい人が最後に縋る藁のようだと、そのときに感じた。
いまさらインスタ観察に戻る気もせず、それでいてこの現実に向き合いたくなくて、私はイヤホンを耳に戻した。時間に追われているわけでもない。さっきの男の人の踵みたいに、目の端にホームへ入り込んでくる電車の姿が入り込んだときに立ち上がればいいだけなのだ。
手持ち無沙汰なのに、携帯を握る手だけは変わらない。何かを覗く気にもなれない。人身事故の続報も、関係ない世界でキラキラと光るインスタも、私の頭の中には入り込んで来ない。ただホームの縁を視線でなぞり続ける。
彼女なのか、彼なのか。誰だか知らないその人は、その縁から一歩を踏み出した。自殺なのか事故なのかなんて分からないのに、私の頭の中では自主的に一歩を踏み出す人の後ろ姿が浮かんでいた。
『黄色い線の内側には〜』というアナウンス。人の足の三足半程度のその内側。どうしても、見知らぬ彼や彼女の後ろ姿が浮かんでしまう。目の前にあるその空間を、どうやって乗り越えていったのかが気になってしまう。
真夏のプールにふざけて飛び込むような体勢だったのか。
夢遊病患者が階段を踏み外すような体勢だったのか。
人身事故という言葉だけが、私にここまで考えさせる。最期に何を思ったのか。何も思えなかったから飛び込んだのか。何も思えない自分に絶望する、という気持ちは経たのか。全てが気になってしまい、そしてその全てを想像して、勝手に視線が釘付けにされる。

釘付けの視線を遮るように、女の人がパタパタと階段の方へ走っていった。サンダルを履いていて、一瞬だけだったのにその女の人のくるぶしの下あたりに靴擦れの痕が見えた。血が流れるほどではないけれど、皮がめくれていた。シャワーを浴びたときの痛みが簡単に想起されて、私は顔を顰めた。
私はなぜ自分が顔を顰めたのかが気になった。無表情で釘付けになるホームの縁と、一瞬目に入った靴擦れの痕。何が違うのかは明白だった。
私は線路に飛び込んだことがない。一方靴擦れになったことはある。ただ、それだけの差だった。一度でもホームから線路に、迫り来る電車へと身体を預ける経験があれば、ホームの縁になんて目は行かないだろう。
知らないこと。知っていること。気にならないこと。気になること。なんとなくそれら全てが、自分の経験によって支えられていることに気付いた。
だから、私は人の死が書けない。誰かを亡くした自分の気持ちしか書けない。亡くなった誰かが何を思っていたかが、書けない。
だからと言って、死ぬわけにもいかない。死んだら物は書けない。モノは創れない。
モノを創る人の中でも死にかけた人は居るだろう。そんな人たちが、何かを創っても、結局死んだことないじゃん、ってなってしまう。私より近くても、ただ近いだけじゃんって思ってしまう。
想像力は実体験に敵わない。死以外の全てくらいは経験しておきたい。
私はホームの縁を睨みながら、そう思った。

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