「助けてほしい」と手を伸ばしてくれないと、手を掴んで助けてあげられない。
9月のまだ残暑が残る金沢での夜に、
尊敬する知り合いが言った一言が忘れられない。
何気ない会話の中で彼は、ボソッと言った。
決して自分に対して言ったわけではない話だったが、彼の言葉がすごく心に刺さった。
「助けて」と言いたくても素直に言えない。
だけど、言いたかった自分に気づいてしまった。
心の中では何度も叫び続けた声。「助けて欲しい」と。
そして、脳はこう答えた。
「自分でそのくらいどうにかしなよ」
「そんなことも出来なくて大丈夫?」
「甘えてるんじゃないの?」
「出来なかったら人は離れていくよ」
弱音を言ったら人はどんな反応をするのだろうか。
相談するにも上手く伝えられない。
上手く伝わらなくても、話すことに意味があることは頭で理解しているが人の時間を奪ってしまうのではないかと思うと素直に言えない。
言わない選択を取っている自分との格闘。
ある日、誰かが言った。
「あなたみたいに何でも出来るわけじゃない」
そうか、人から見たら私はそう見えるのか。
誰かの期待に応え続けたり、成長し続けることに
きっともう疲れてしまったのかもしれない。
自分に嘘をついたり記憶を書き換えたりするのは、もうやめたい。
いや、もうやめよう。
素直になった先に何があるのか。ただのわがままなのだろうか。
ある日、人は言った。
「”やらない”ことは決めてるが、”やる”ことは決めてない」
そうか、やらないことを決めても良いのか。
そしたら私は何色になれるだろう。
ある日、別の人は言った。
「人を救うには、経験と知識がないと出来ない」
誰かを救いたかったら孤独と苦しみに打ち勝たなくてはいけない。
人間そんなに常に強い生き物なのだろうか。
そんなことを考えていたら、東京はすっかり秋になっていた。
金沢・京都に出たおかげで心の余裕が生まれた。
私、何がしたいんだっけ。私、今何が幸せなんだけ。
私、何者になりたいんだけ。私、今後どんな人生を送りたいんだけ。