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愛のままにすきにやる


大学一回生のとき変態紳士クラブの「すきにやる」とBASIの「愛のままに」という曲が流行った。
そのときに"愛のままにすきにやる"というフレーズがよく使われるようになった。

高校を卒業し、大学生というひとつ大人の段階に進んだ。
大学に入るまで、というよりかは20歳になるまで".すきにやる"なんて当たり前と思っていた。

中高と本当にすきに生きてきた。
ダンスを習いたいと言って、習わせてもらった。
留学に行きたいと言って、ニュージーランドに行った。
その3ヶ月の期間絶対に無事に帰るからどうか電話をしないでほしい。なんて無茶なお願いを聞いてもらったりもした。
大学に行かないかわりに留学をしたいという約束だったのに、大学に進むことをきめた。

本当にやりたい放題その時に心が動いたことをやらせてもらっていた。

もちろんお金を払ってもらっているのに、好きなことだけやるのは後ろめたさがあったので勉強もした。

そして大学に入学し、あっとゆうまに20歳になった。

そして、夢を見つけた。
それは彫り師になるということ。
今は彫り師戦国時代といわれているほど彫り師が増えてきている。一刻も早く彫り師になりたかった私は、母に「大学を辞めて彫り師になりたい」と告げた。

母は反対した。

もちろん将来が分からない。世間体も悪い仕事に就くという母の心配が大きかったのだと思う。
「とりあえず、大学を卒業しなさい。」と言われた。
大学を卒業しないと彫り師が叶わなかったときの保険のようなものがないのが不安だと母は言った。
でも私は、その保険が逆に自分を甘やかしてしまうのではないかと思っていた。

それでも母は反対した。
このとき生まれて初めて、やりたいことを母に反対された。
いつも背中を押してくれる母が、道を塞いだことがショックでもあった。

そこから先輩や友達、色々な人と話をしたが答えは見つからなかった。

そうこうしているうちに成人式が迫っていた。
父母に宛てる手紙を書いているとき思った。
今自分は母が姉を産んだ20歳になった。
こんなにもやりたいことがあって、まだまだ遊び足りないのに、こんな中母は姉を産むという選択をした。
今と昔では少し出産に対する考えも違うのかもしれないが、若い頃の時間もお金も私達に費やしてくれたことには変わりない。感謝の気持ちでいっぱいになった。

母は介護士で障害者の就労支援の事業所に勤めている。
顔に傷を作って帰ってきた日も、普段と変わらずご飯を作り、洗濯を回していた。

そんな母の姿を思い出し、今までやりたいこと全て応援してくれ、背中を押してくれた母が、
生まれて初めて私がやりたいことに対して反対をしたことを深く考えた。

きっと仕事というのは人生において大きいからこその反対だったと思う。

"愛のままにすきにやる"なら、きっと私はそこで大学を辞めて彫り師の見習いをはじめていただろう。

でも私は、愛があるからこそすきにやれなかった。
大切に育ててもらったからこそ、親不孝にはなれないと思った。

夢を諦めたわけではなく、まずは大学を卒業して彫り師を目指すことにした。
もし彫り師が叶わなかったとしても大学を卒業していれば、どこかしら就職ができる。その保険を母のためにつくることにした。
そして、私自身一つのことを最後までやり遂げれない人間が、彫り師の厳しい見習い期間を乗り越えられるわけもないなと思った。

"愛のままにすきにやる"ことをできる人間は少ないと思う。
今は愛があるからこそすきにやれないけど、それが後にすきにやることに繋がればいいなと思う。

どんな選択も正解にするのは自分だ、と父が言った。

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