自分の中の毒
年末になると、
何かと自分と向き合うような瞬間がある。
自分はこの一年、何を成し遂げたのか?
残すところ数日、やり残したことがあったのか、なかったのか?
自分は、幸せなのか、不幸なのか。。。
そもそも幸せって何なのか。
ドイツの習慣で、
毎年クリスマスは家族で集まってお祝いをします。
私はサービス業なので、年末はとっても慌ただしい。
そんな中で義理の母と義理の妹家族が同居している二世帯の家に、
我が家は毎年お邪魔している。
家族にとっては一大イベントであるクリスマス。
嫁業を務めるべく3泊。。。ヘトヘトなんだが。
義理の母と私は、意見が合うことが多く、
つかず離れずの距離感が私にとってはちょうどよく、とてもありがたい。
なので、会いに行きたくないと思ったことはないし、
我が家に義理の母が数ヵ月ステイすることもあるけれど、
私は何の苦にも思わない。
ただ、私は大人数がとっても苦手。
ひとりっ子だからなのか、
みんなで一緒にワイワイ過ごすことがあまり得意ではないんです。
主人の妹夫婦はとっても思いやりがあって良い人たちだけど、
何かと家族全員で一緒に何かをしたがる感じで、
私だけ行かないとか言うと、変な雰囲気になってしまうのが難。
言葉遣いや、大きな声、物の扱い方などが私とかけ離れていて、
違和感を感じまくって一緒に居るとあんまり居心地がよくない。
あぁ、また怒鳴り声や、下品な言葉を大きな声で聞かされるのか、
行きたくないなぁ。と思ってしまう。
それでも毎回、家族の集まりには我慢して行くんです。
嫁として、
妻として、
母親として、
娘として、
社長として、
全てにおいて、
今のこの世の中で理想の形と言うものが存在する気がする。
気が利く嫁
夫を支える妻
寛大な母
親孝行な娘
スタッフを牽引する理解のある社長
全てを理想の状態に持っていこうとすると、
自分のどこかの角を切り落としていかないと、
型にはまらない。
そして、自分というものが、どんどん小さくなっていく感覚がある。
それを『丸くなる』と呼ぶならば、
それは果たして良いことなのか?
理想を追い求めるあまり、
自分勝手に生きられない息苦しさが
常に私の中にある。
自分の中の勝手な思いを見ないようにするために、
目の前の『幸せ』に意識的にフォーカスし、
自分の中の燃える思いを、
他人のためにピンボケさせている。
仕事に没頭したいときも、
嫁業や母親業を放ったらかしているという罪悪感?がある。
多分、誰にも嫌われたくないって思ってしまっているからなんだろうな。
自分の命をささげて成し遂げたい事を
セーブしなければいけない時、
前に進んでいないような感覚になり
イラつくし、プライベートの時間を心から楽しめない。
こういう、自分の中の毒を
認めなければならないのだなと。
来年は、ちょっとくらい嫌われる覚悟で、
できるだけ尖らせて、
自分のやりたい事をもっとやってみようと思う。
今年のクリスマスは、
主人がコロナウイルスに感染したため、
自宅でおとなしく過ごすことになった。
私の邪念がそういう方向に導いたのなら、
主人には申し訳ないが。。。
子供たちは暇そうだけど、、、
それぞれの好きなことをして自由に過ごしている。
私も普段できない事をゆっくりとしてみたり、
フィギュアスケートの選手権LIVEを
普段一切座らないソファーで鑑賞したり、
好きなように過ごさせてもらっている。
夜は、クリスマスっぽい料理くらいはしようかなと。
完璧じゃない自分を責めずに、
このまま生きていこう。
そして、自分の人生を自分の足で踏みだして生きていこう。
この歳になってようやく感じ始めた自分の感情を、
来年はちょっと大切にできるといいなぁ。
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