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初の海外旅行。JR九州高速船「クイーンビートル」に揺られる4時間。【初訪韓1】


 「じゃ、また後で」


 朝の福岡空港でフォロワーのN氏を見送る。彼はこれから飛行機に乗って韓国・釜山へ向かうという。ちょうど搭乗手続きが始まる頃で、出発口には人がずらりと列を成していた。

 私は彼がその列に混ざっていく様子を確認してから、少し急ぎ足で空港を後にした。私の門限も迫っている。

 空港から地下鉄とバスを乗り継いで向かった先は、博多港国際ターミナル。何を隠そう、私の目的地も釜山だった。これから博多港9時発の高速船で釜山港へと向かう。私にとって初の海外旅行になる。



赤い高速船で初の海外へ


 何十人と連なる長い待ち列に並び、乗船手続きを進める。パスポートや、入出国に必要な「K-ETA」「Visit Japan」に係る書類などを片手に、牛歩にも及ばぬ速度で順路を進みながら手続きをする。長い列を待つのは得意でないが、こればかりは仕方ない。

 3番目の順路で往復分の会計を済ませ、やっと乗船券を手にしたころには出港時刻である9時を回っていた。自分の後ろにもまだ10人くらい並んでいる。

 続けて2階で出国審査を受けた後、桟橋へ向かう。灰色によどんだ空と海の間に、真っ赤な船体が浮かんでいるのが見えた。これから乗船するJR九州の高速船「クイーンビートル316便」である。


JR九州の観光列車でお馴染み、水戸岡氏によるデザイン


 船内に入り、指定座席で出航を待つ。私の後にも乗船手続きを待つ人々がいたから、もう少し時間がかかりそうだ。

 時折、マスク着用等を促す肉声のアナウンスが日本語と韓国語でされていて、本当にこれから異国へ旅立つのだなと実感が濃くなる。客室内ではアテンダントが酔い止めを配布して回っていた。


 およそ15分ほど遅れて博多港を出港。乗務員挨拶やこの先の航行予定についてのアナウンスと共に、船窓からの眺めがゆっくりと動き出す。

 博多港、海の中道、能古島に囲まれた湾内を進んでいる間に、船内の安全に関する案内と、緊急時における対応について周知する映像が放映された。どことなく離陸前の飛行機が滑走路へ向かう間のような趣がある。

 なおこの映像は「子ども船長の船内安全授業」と題された、2人の子役船長と1人の女性乗務員からなる寸劇風の作品なのだが、真面目な内容ながら、ほのぼのとした雰囲気もあり見てて楽しかった。緊急事態を告げる汽笛の鳴り方など、船独特の案内もある。もちろんこれも二か国語。



 「クイーンビートル」は博多と釜山を3時間40分で結ぶ高速船である。速力は約36.5ノット、時速にして約68キロ。トリマラン(三胴船)と呼ばれる構造を持つ。

 三胴船と呼ばれても、船に疎い私にはピンとこないのだけれど、ざっくり表現するならば、船の下部にある逆三角形の構造を横に3つ並べて、その上に客室が乗っかっているイメージだろうか。客室が広く取れるなどの利点があるらしい。

 船そのものは2020年9月に竣工したものの、昨今の情勢により国際航路は運航休止が余儀なくされ、しばらくは国内航路で食いつないでいたという。新型高速船として国際航路デビューを果たしたのは2022年11月の事だった。


 案内がひと段落したところで、少し船内を探索してみようと思い立ち、今いる1階の共有スペースや、2階にある免税店、3階の展望デッキなどを回った。共有スペースには「キオスク」と呼ばれる売店が併設されているが、上階の免税店も含めて営業開始前であった。

 展望デッキからは、先ほどまで滞在していた博多の街並みが見える。出港してしばらくは座席で過ごしていたから、街並みはもう個々の建物を区別できない位に遠く離れてしまっていた。

 高速船は勢いよく後方に水しぶきを上げながら博多湾に別れを告げる。湿気を多分に含んだ海風が吹き荒れ、轟々と音を立てていた。



 出航してしばらく、進行方向右手に志賀島や海の中道が近づいてきたところで、乗組員からアナウンスがあった。

 聞くところによれば、これから博多湾を抜けて玄界灘、対馬海峡へと向かう間において、悪天候で船が揺れるため、しばらく席に座ってお待ちくださいとのことである。そういえば出港時にアナウンスされた波の高さの予想は約2mだったか。なかなか荒れているようだ。私は早々にデッキ見学を諦め、元いた座席に戻ることにした。



 高速船は大しけの玄界灘に踊り出た。辺りは濃霧に包まれ、窓は白く染まり、船は上下左右に揺れ、壁や船内設備はめしめしと音を立てて軋んでいる。

 着座しても特にすることはないので、乗船時に手渡された健康状態質問票を書く。初日の宿泊地を書く書類もあった。住所の書き方が日本とは異なるため難儀だったが、宿のホームページを開いて何とか記入できた。

 それよりも揺れのせいで記入した文字がグニャグニャに歪んでしまっており、こちらの方が問題だ。後で書き直さねばならない。記入用紙は売店の脇に予備がある。


 10時半。いつの間にか着席令が解除されていたので、売店で腹を満たすことにした。注文すると、音が鳴るタイプの番号札を渡される。それが鳴ったら受け取り口で注文したものを受け取る流れだ。番号札からはピピピと目立つ音がするので、あまり客席の方には持って行かない方がいい。売店での決済が「PayPay」に対応していたのは意外だった。

 少しして、お目当ての生ビールとフライドポテトが手元にやってきた。



 フライドポテトをつまみにビールをぐいっと飲む。値は張るが、やはり乗り物の中で飲む酒は格別である。売店の近くは自由に座ることのできるラウンジスペースがあり、その一角で私は立ち飲みのような格好で佇んでいた。

 私が呑気に立ち飲みをしている傍で、続々と注文が続いていく。店員さんは表と裏を行ったり来たり。もちろん船の揺れに晒されている状態である。飯を作るにせよ、車内を見回るにせよ、船上特有の苦労が垣間見える。

 船上の苦労は乗客も同じだ。あいにくの天候で酷く揺れる航海道中において、酔いに負ける旅客の姿も目立つ。ある者は2人掛け座席の上で静かに横たわり、またある者は中々空きの出ないトイレの入口近くで切羽詰まっている。そんな光景をぼーっと眺めながら、ビールは2杯目へと突入した。


売店前はフリースペースのような空間になっている


1杯550円


船体上部と下部のつなぎ目


 酔い覚ましがてらに船内を散策。窓の外では水平線が上へ下へと行ったり来たり。空はいつの間にか晴れていた。



 正午を過ぎる。デッキに出て潮風を浴びる。左手には対馬が見えた。島の先には航空自衛隊の海栗島分屯基地があり、ドーム型の施設が2つ肩を並べているのが微かに見える。海栗島分・・・なんて読むのだろう。





 その後もデッキで気ままに風を浴びたり、免税店でクリアファイルを買ったり、座席で黄昏るなどしてうだうだと過ごしているうち、ついに韓国の景色が見えてきた。スマホの通信もいつの間にか海外ローミングの状態になっている。

 遠い陸地の上には、背の高い高層マンションが何棟も建っている。どれも見た目が同じで、コピー&ペーストを繰り返してできたような団地になっていた。明らかに日本と違う風景に異国情緒が高まる。



 ここまでの寝不足と飲酒が祟ったのか、座席に戻ると数十分ほど寝落ちしてしまった。目が覚めたらもう釜山港に着岸する直前だった。

 重い瞼をこすりながら、下船客の流れについていく。窓の外には釜山港の大きな建物が見えた。壁面には韓国語の文字が大きく掲げられている。本当に海外に来てしまったのかと、寝ぼけながら感心していた。


 入国審査が始まった。高速道路の料金所みたく受付が複数に分かれているのだが、レーンによって客を捌く速度に違いがあり、手前に立つ誘導係が徒列の整理をしたりなんかして、どこかスーパーのレジ打ちみたいな趣があった。

 審査は流れ作業そのものだった。パスポートの確認、顔写真と指紋の採取、続いて荷物検査、最後に船内で書いていた健康状態質問票や検疫に関する書類を提出すれば、14時半、晴れて入国である。

 先に手続きを終えた乗客たちは早々に港を去ったらしく、私が入国審査を終える頃には、建物内は閑散としていた。



案内表示には漢字・カタカナの表記もあり、迷うことはない

 

消防設備も日本で見かけるものとよく似ている


ンャトルバスの待合室もある


緊急アラートに驚きつつ釜山駅へ


 今回の旅は4人組である。今朝がた福岡空港で別れたN氏に加え、「関釜フェリー」で釜山港に先着した2人がいる。関釜組は昨日、各々の居住地からそれぞれ福岡空港、北九州空港へ飛び、小倉で落ち合ってから夜行のフェリーで釜山に上陸していた。

 一方、私は昨日まる一日をかけてN氏を訪ね、そこから彼の車に夜通し便乗させてもらう形で福岡へとやって来た。そして冒頭の通り、N氏が飛行機、私が高速船でそれぞれ釜山へと向かうという行程だった。全員の韓国入りを待った後、釜山で再合流という計画だ。私が最後に上陸する形である。

 4人それぞれの居住地が離れていながら、なぜか全員が九州を経由し、しかも皆が異なる手段で韓国入りを果たしているという、歪な行程を孕んだ一行である。


 さて、釜山港に着いたところで先着組の3人と合流したい。上陸を報告すると、釜山の繁華街であり、かつ今夜の宿がある「西面」(Seomyeon)で落ち合わないかとの返事が来た。釜山から西面へは地下鉄が繋がっている。まず初めに地下鉄に乗るべく、釜山駅に行くことにした。駅はフェリーターミナルから徒歩5分ほどの距離にある。

 港の前を横切る大通りの脇から遊歩道を伝い、釜山駅を目指す。道が広く、多くの車が行き交っている。クラクションが頻繁に聴こえる。遊歩道の向こうには釜山駅の駅舎、その奥には山の斜面に建物がへばりつくように建っている。なんとなく長崎駅前と似たような感じを受けた。


釜山万博に向けた?工事中の区画が目立つ


 釜山駅に向かって歩いていると、スマホが唐突に音を立てた。手に取ると、そこにはエリアメールの体裁で「緊急速報メール:最重要」の表示が。


15時過ぎに受信した「緊急速報メール」


 一体何が起こってしまったのか。

 この手の通知と言えば緊急地震速報だろう。海外でもエリアメールが受信できるのかと感心しつつ、ここで地震に見舞われてはひとたまりもないという絶望感もあった。だが待てど揺れは起こらなかったし、周囲の人は何事もなく出歩いている。どうやら地震ではないらしい。

 となれば、あとはミサイルの発射情報か。土地柄、北の方から飛翔体が射出されたとなれば、その速報度は日本より重度だろう。日本ならNHKニュースアプリの速報通知が飛んでくる程度だが、ここではアラートレベルなのかもしれない。


 何か重要なことが起こったらしいことが伺えるが、いかんせん本文が韓国語で何も読み取れない。それでいて周囲の人は平然としている。実は何も起こってはないのか。ここはひとまず落ち着いて本文を翻訳にかける。すると・・・


緊急速報メールの全容

 内容は「山火事災害国家危機警報」だった。農村地域における焼却行為の禁止や、火種管理に対する注意を促すアラートであった。思ってもみなかった通知内容に拍子抜けした。今までの緊迫感は何だったんだ。


 ・・・とはいえ、内容そのものは余り軽んじるべきものでもないというのも理解は出来る。今は3月であり、乾燥のため日本でも火の元に対する注意が呼び掛けられる季節である。

 緯度が高く、大陸性気候に属する韓国において、その乾燥ぶりは日本以上であり、乾燥に起因する火事災害のリスクも段違いなのだろう。こういった注意喚起がアラートレベルで通知されるのも無理はないのかもしれない。


 なお、この通知は4日間にわたる韓国滞在中において、毎日同じ時間に受信することになる。日本でいう16時の感染者数発表速報のようなものであった。

 季節柄仕方のないことだけれども、アラート音も鳴ってしまうので、火を扱う用事がない限り、韓国滞在中は通知音をオフにしてしまうのも一つの手かもしれない(キャリアによってそういう設定があるようです)。



 山火事アラートに翻弄されつつ、徒歩数分で釜山駅にたどり着いた。韓国鉄道公社「KORAIL」の駅で、韓国第2の都市・釜山の代表的な交通拠点である。港側の東口には「ハヌル広場」と呼ばれる芝生の広場が設けられている。

 入口をくぐると中には開放的なコンコースが広がっていた。屋根が高く、大きな吹き抜けのようになっていて、壁面は全面ガラス張り。差し込んむ日光が待合所を照らしている。案内放送が館内に響いていて、韓国語は殆どわからないが、英語放送は何とか聴きとれた。まるで空港のような空間であった。

 多くの人々が行き交っている。ビジネスマンらしいスーツの人、キャリーケースを引く旅行者らしき人。はるばるソウルなどからやって来たりするのだろうか。周りからは韓国語の会話しか聞こえてこない。本当に異国に来てしまったのだと、明らかな高揚感がここで得られた。



 旅の高揚感と共に、不安な気持ちも同居していた。言葉も通じない知らぬ土地でただ一人。国内旅行では味わうことの出来ない初めての孤独。開放的な駅空間の中で、様々な感情をごちゃ混ぜにしながら、しばらく往来を眺めていた。

 程なくして先着組から電話が来た。


 「明日乗る列車の切符を発券するために、釜田駅まで来てくれませんか?」


 明日は釜山広域市内の釜田(Bujeon)という駅から出る列車に乗って、東海(Donghae)という街を目指す予定である。今からその列車の乗車券を発券するために、始発駅である釜田駅で落ち合いませんかとのことだった。

 唐突に登場する初見の駅名。果たしてどうやって行くべきなのか。というか未だウォンすら手に入れそこねている。実質無一文である。

 右も左もわからぬまま、初海外での単独行動が始まった。


つづく




・関釜組による釜山上陸日の旅行記は以下に詳しい


最後までお読みいただきありがとうございました。本文・内容は誤字訂正や改善のため事後的に加筆修正を加える場合があります。


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