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追懐、八戸駅コインロッカー。

 「ふう、間に合った」

 人影のまばらなホームに反響する発車メロディに急かされるがまま、私は階段を駆け下り、八戸駅22時15分発の「はやて98号」へと飛び乗った。指定座席に腰かけ一息ついた頃、列車はもう八戸駅を滑り出していた。八戸から盛岡へ向かう最終列車である。

 後方へ流れる駅の明かりを最後にして、車窓は黒一色に染まる。田園地帯の中を走っているのだろう。夜の車窓に映るものは何一つない。

 この最終列車で盛岡に出て、駅前から数分歩いたところにあるネットカフェに入れば、今日の行程は終わりであった。


 夏休みを使った長旅はまだ始まったばかりだ。

 東京駅からの夜行バスに揺られ、八戸駅前に降り立ったのが今朝のこと。青春18きっぷを片手に八戸線を撮ってまわった後は盛岡で一泊。明日も始発から在来線を乗り継いで、酒田から日本海に新潟へと向かい、東三条駅から出る大阪行きの夜行バスで翌日を迎え、その先は関西で・・・と、数週間をかけた、移動距離約3,000キロに及ぶ旅程を作りあげた。

 旅の目玉のひとつとして、酒田~新潟間で乗車する快速「きらきらうえつ」がある。

 きらきらうえつは、山形県の酒田駅を16時11分に発車する新潟行き快速列車である。日本海沿岸を羽越線・白新線経由で結び、国鉄型特急を観光列車用に改造した専用車が使われる。快速列車なので、510円の座席指定券を買えば18きっぷで乗車可能だ。

 日本海の夕暮れを眺めつつ、観光列車のゆとりある座席で羽越本線を駆け抜けるのは至福に違いない。とあるきっかけで存在を知って以来、一度は乗ってみたい列車として私の脳内に焼き付いていた。だから多少遠回りをしてでも、今回の旅程に組み込んだのだ。明日は、きらきらうえつに乗るための日であった。


 盛岡行き新幹線の車窓は相変わらずの暗闇だった。


 今日の旅を思い返す。

 陸奥湊の朝市で勝手丼を盛ったこと。欲のまま具材を選んだら思いのほか量が嵩んで、食べきるのに小一時間を要したこと。それで乗る予定だった列車を一本逃したこと。真夏なのに汗一つかかない気候。車窓いっぱい広がる夏の太平洋。沿線の海沿いから眺めた茜色の夕刻。

 どれもこれも、この夏を色とりどりに染める忘れられない思い出だ。私は夜の車窓を見やりながら、旅の充足感に浸っていた。明日もまた、一日中が旅に染まる。そう思うだけで、気分が高まる。


 列車は時刻通りに盛岡に到着した。駅前大通りに沿って歩くこと数分、今夜のセーブポイントとなるネットカフェに到着する。今日はこれでお開きだ。

 パソコンの動作音だけが響くネカフェのブース内で横になりながら、改めて明日の旅程を確認する。確認とはいっても、乗換案内アプリでルートを見る程度である。


 明日の目的はきらきらうえつに乗ること。つまり16時11分までに酒田駅に着いていればいい。いくら鈍行だけで行くとはいえ、時間的余裕は十分にある。

 スマホには盛岡から田沢湖線に乗って大曲、奥羽線で新庄、陸羽西線で余目を経て酒田に行くという検索結果が出ていた。明日はとりあえず田沢湖線の始発に乗れれば問題ない。何なら1本くらいは落としても問題は無いだろう。そんなことを確認して、私は眠りにつく・・・そういう手筈であった。



ーーー


 翌朝。私は盛岡駅の新幹線ホームに立っていた。昨日訪れた、もう戻らないはずの八戸へと向かう新幹線を待っていた。

 本来なら私は酒田へ向かっている予定である。今頃は田沢湖線の鈍行に乗っかり、並走する秋田新幹線に煽られながら大曲駅を目指していたはずだ。八戸と大曲では、方角が90°以上違う。

 それがなぜ、新幹線ホームにいることになったのか。なぜ北へ向かう列車を待っているのだろうか。

 目の前に滑り込んできたのは、エメラルドグリーンに紫のラインをまとう列車。行先表示には新函館北斗と表示されている。北海道へ向かう「はやぶさ95号」である。ああ、初めての北海道新幹線にこんな形で乗り込むことになろうとは。そのあっけ無さが、なんだか面白おかしい。


 八戸駅にキャリーケースを忘れた。


 この事実に気が付いたのは、私が盛岡行き新幹線で一日を振り返りながら当日の思い出に浸っていた時のことである。

 今日は八戸線でいい旅が出来た。綺麗な景色が見れた。美味しいものも食べた。本当に良い一日だった。旅行というのは良いものだ。そういえば帰りの新幹線に乗った時、やけに身軽だったなぁ・・・。!!!!!!


 人生で大きめのミスを犯したとき特有の血の気の引き方というのがある。人との約束を失念していた時。学校の課題を家に忘れてきた時。仕事で失敗をしたとき。事例は様々だが、あの、少しの空白を置いて、しでかしたことを自覚するあの瞬間。あの瞬間が、今やって来た。


 今朝、夜行バスで明けの八戸駅前に降り立った私がとった行動は、駅のコインロッカーにキャリーケースを預けることだった。

 キャリーケースを引いている間はどうしても片手がふさがってしまう。一日中カメラを振り回すような旅とは相性が悪い。それに今日は再び八戸駅に戻ってくる旅程を組んでいる。それなら今日使わない荷物はすべてコインロッカーに預けてしまった方が好都合だろう。そう思い立ち、東京から持参したキャリーケースを、駅にあるコインロッカーに預け入れたのだった。

 そして夜を迎え、八戸線の旅を終えた私は、盛岡へ向かう新幹線に乗るため八戸駅へと戻る。しかし私はこの後、キャリーケースの存在を忘れたまま、盛岡行き「はやて号」の切符を買うべく自動発券機へと向かってしまう。はやて号は全車指定席なので、号車や座席を選ばなければならない。それを決めあぐねているうちに、発車時間が迫ってしまった。

 そして冒頭の通り、発車メロディに催促されながら急ぎ足で列車に飛び乗り、盛岡へ向かうことになる。キャリーケースの事なんて頭の片隅にもなかった。


 やらかしたと思った。サッと血の気が引く。さっきまで浸っていた旅情は引き波のごとく私のもとから離れていった。今乗っているのは盛岡行きの最終列車。少なくとも今日はもう八戸駅には戻れない。

 明日は始発から在来線を乗り継ぎ、酒田に出て、きらきらうえつで新潟へ向かう、そして東三条からの夜行バスで大阪へ・・・。始発を逃しても余裕がある行程とは言ったが、流石に八戸駅まで往復するほどの時間はない。

 「最悪、きらきらうえつは捨てるしか・・・」

 そんな選択肢さえ浮かぶ。この日の旅程はこの列車に縛られているためだ。この列車に乗らなければ、八戸駅でキャリーケースを回収しつつ、別のルートや列車を駆使し、在来線だけで夜行バスの発車までに新潟へ向かうことが出来る。

 しかし叶うことならば、きらきらうえつはぜひ乗っておきたい列車だった。私が東京から西日本へ帰省するのに、わざわざ東北周りで旅程を組んだ目的の半分はこの列車にある。乗らないという選択肢を取るのは惜しかった。


 時間的制約だけではない。盛岡から八戸に戻る行為は金銭面においても手痛いことであった。

 盛岡~八戸間には、新幹線と在来線の2本の鉄道がある。そのうち在来線は、岩手県内と青森県内でそれぞれ「IGR銀河鉄道」「青い森鉄道」という2つの会社によって運営されている。この2社はいわゆる第三セクター鉄道と呼ばれるものでJR線ではない。青春18きっぷで乗ることは出来ず、運賃を別途払う必要がある。それは新幹線も同様で、盛岡~八戸を新幹線で移動するには、乗車券と新幹線用の特急券を買わなければならない。

 盛岡~八戸を在来線で乗り通す場合は2社に跨る。そのため運賃はどうしても割高になってしまう。計3,110円。所要時間は約1時間50分。対する東北新幹線は、盛岡~八戸間で計4,090円。所要時間は約30分。在来線に約1,000円足せば、移動時間は1時間以上短縮できる。

 在来線に乗ろうが、新幹線に乗ろうが、真っ当にお金がかかることには変わりない。なら費用対効果の大きい新幹線に手を出すのは自然だろう。だから八戸~盛岡の移動には、八戸により遅く滞在できる新幹線の最終列車を選んだ。

 しかし、この手の課金は必要最低限のワープ的手段として用いることで最高のコスパ体験を得られるのであって、それを繰り返すとなれば、出費の重さも変わってきてしまう。なるだけ課金は避けたい。色々な手段・ルートを検討しながら、必死で乗換案内アプリと睨みあった。


ーーー


 そして翌朝、新函館北斗行きの新幹線に乗った私の手には、計6枚もの乗車券が携えられていた。八戸駅でキャリーケースを回収し、かつ酒田~新潟の快速「きらきらうえつ」の乗車をも叶える理想の旅程が完成したのだ。

 あなたは聞いたことがあるだろうか、鉄道マニアの間でまことしやかに囁かれるこのような格言を。


 「鈍行専用の青春18きっぷに、乗車券と特急券を買い足せば、新幹線にも特急列車にも乗ることが出来る」


 乗換案内アプリと睨みあった私は、ついに真理へと到達する。

 朝一に東北新幹線で八戸へ向かいキャリーケースを回収する。そのまま新幹線で盛岡へと舞い戻り、秋田新幹線に乗り換えて大曲へ。そこから奥羽本線、陸羽西線を乗り継げば、きらきらうえつが酒田を発車する16時11分に間に合う! 全てが救われる最良の選択肢。これ以外に考えられない。まさに円環の理であった。


 新函館行き「はやぶさ95号」は一面に広がる田園の中を疾走する。水田には四角に区切られた区画いっぱいに青々とした稲穂が生い茂り、夏盛りを謳歌しているように見えた。緑の絨毯という表現がそのまま当てはまるような風景だった。昨夜、暗闇に閉ざされていた車窓にはこのような風景が広がっていたのか。

 いわて沼宮内、二戸を過ぎ、八戸には8時34分着。このまま乗車していればいつしか青函トンネルを抜け、北海道へと上陸することが出来る。

 いっその事このまま身を任せて北上してしまうのも悪くないのではないか。妙な誘惑に袖を引かれる思いで列車を降りた。北海道新幹線の帯びる紫色のラインカラーが、富良野のラベンダーを思わせて余計に名残惜しい。鉄道ファンとして、いつか絶対、この色の新幹線に揺られて北海道を目指さなければならない、そう決意を抱かさせられるような瞬間だった。


 改札を出て、無事コインロッカーからキャリーケースを取り出すことに成功した。中には数日分の着替えや充電器といった長旅には欠かせないものが入っている。これを助け出さない選択肢はない。昨日ぶりの再会に幾ばくか感極まりつつ、再び新幹線改札へと急ぐ。


 新幹線は罪な乗り物だなとつくづく思う。先ほどまで新函館北斗行きの列車に揺られ北海道への旅をそそられたかと思えば、次に乗る列車には東京行きと書かれている。このまま乗ってしまえば、明るいうちに帰宅できてしまうというのだ。18きっぷで在来線を何時間もかけて乗り継ぐ旅をするような人間にとって、その圧倒的距離感は途方もない。

 東京行き「はやぶさ12号」は定刻9時5分に八戸駅を滑り出した。今度はエメラルドグリーンにつつじ色の帯があしらわれた東北新幹線の車両である。


 9時42分。すっかりお馴染みとなった盛岡駅新幹線ホームに降り立つ。まさかこのホームに連日降り立つことになろうとは。

 やけに見覚えのある風景と化した新幹線ホームで、乗ってきたはやぶさ号が秋田からのこまち号と連結するのを見てから、今度は急ぎ足で向かいのホームへ行く。次に乗るのは秋田行き「こまち3号」の発車は9時54分。あまり悠長にしていられない。今度はこの列車で奥羽線の接続する大曲駅を目指す。


 こまち3号の車内は程々に混んでいた。車内を見渡すとどの席も窓側は埋まっている。私は切符に表記された指定席へと腰かけた。隣席に人影はないが既に先客がいるらしい。テーブルが下ろされ、小荷物が乗っかっている。

 盛岡を出た秋田新幹線は程なくして、新幹線らしからぬ車窓を見せる。まるで在来線のように、地上を走りだすのである。

 秋田新幹線の盛岡~秋田間はいわゆる「ミニ新幹線」と呼ばれるもので、在来線である田沢湖線、奥羽本線と同じ線路を走る。東京から来た新幹線がそのまま在来線に直通するというものだ。盛岡~秋田間での新幹線は、雑に言えば在来線特急のような役割を果たしている。

 新幹線車両特有の小さい車窓に、新幹線では見られないような地上目線の風景が収まっている。これがミニ新幹線の旅情ともいうべきか、今まで味わったことのない感覚に興奮を覚える。

 もっとも、通路側に座っていた私に車窓風景はよく伺えず、その旅情を全面的に享受できたかと言われれば噓になる。周囲を見回して垣間見える窓の外の風景から、僅かながらの興奮を摂取していたにすぎないからだ。またいつか、機会があるときに東京~秋田を乗り通し、ミニ新幹線の旅情を謳歌したい限りだ。またいつか・・・今朝の北海道新幹線の時にしろ、なんだか旅情の摂取を焦らされている気がしてならない。

 どこかの売店で買ったりんごジュースでささやかなご当地感を摂取しつつ、田沢湖、角館を過ぎ、10時50分、目的の大曲駅へと到着した。


 こまち3号はここで折り返し、今まで走って来た田沢湖線とは別れを告げて、残る秋田までの道のりを奥羽本線と共にする。列車は折返の準備を進めていた。

 大曲のホームには、秋田新幹線の広告が大きく張り出されていた。

 『 JAPAN RED 秋田新幹線「こまち」 』

 必要最低限の文言と車両の画像。こまち号の赤々とした色味がこれでもかと表現されている。ある種の潔さを感じるほどの赤々しさである。こまちとは赤であり、情熱の赤なのだ。

 そんな的を得たようで得てないような思考をしながら在来線ホームへと進む。ネカフェ明けの寝不足を引きずっているのか、こういう時は意味不明な思考をしがちである。頭が回っていない。旅程の真理へたどり着くため、脳みそのリソースを既に使い切ってしまったのかもしれない。


 在来線ホームの線路脇には除雪車の頭が留め置かれていた。冬場はこれを使って、線路上に積もった雪を搔き分けることだろう。

 真っ赤な除雪車。これもまた、JAPAN REDに違いない。これはJAPAN REDの除雪車なのだ、などと回らない頭で意味不明なことを考えながら、奥羽本線の鈍行列車を待った。ここから再び18きっぷの旅が始まる。


 11時11分。新庄行き普通列車が入線した。東北新幹線から眺めた青空はいつのことやら。いつしか空は曇り、線路は濡れていた。湿った匂いが鼻をつく。

 普通列車に揺られながら奥羽本線を南下する。本線とは言っても殆ど単線で、光景はローカル線そのものだ。後三年、十文字、及位など、独特な名前を冠した駅を過ぎる。雨脚は酷くなっていくばかりだった。12時55分、新庄着。


 雨脚は重くなっていくばかりだった。降りしきりる雨で白く霞んだ新庄駅に、陸羽西線からやってきた2両編成のディーゼルカーが入線する。この列車が折り返し、私が次に乗る余目行きの普通列車となる。

 陸羽西線は、新庄駅から日本海沿岸の余目駅を結ぶローカル線である。新庄の市街地の北側を大きく迂回した後は最上川に沿って西へ進み、余目駅で日本海沿岸の都市を結ぶ羽越本線に合流する。

 余目行きのディーゼルカーは降車客を下ろした後、しばらくして定刻通りに新庄駅を発車した。


 晴れた日には風光明媚な車窓を拝むことが出来たのだろうが、この日はあいにくの雨。松尾芭蕉の有名な俳句で知られる最上川は濁流と化していた。五月雨を集めて早しと言えども、ここまで早くはないと思う。

  雨のあおりを受けてか列車は遅延していた。想像以上に豪雨らしく、雨量規制のため反対列車に遅れが出ているらしい。陸羽西線は単線なので、反対列車が遅れれば、遅れた分だけ駅で行き違いを待たなければならない。余計に待った分、こちらも遅れることになる。

 あまり遅れると、きらきらうえつに間に合わなくなるのではないかと心配になる。いつもと違う駅で行き違いをする旨のアナウンスがされた。落ち着かない心で車窓を眺めていると、反対側のホームには緑色のトロッコ列車が入って来た。こんな大荒れの天気の中でも走っているものなのか。唐突な珍客の登場に驚く。

 とうとう乗っている列車も豪雨に見舞われた。雨量規制の為駅と駅の何もない場所で足止めを食らったりした。

 ありえない量の切符を発券し、新幹線を乗り倒して旅程をすっ飛ばしてきた身にとって、これほど心臓が萎むようなものはない。これで酒田の到着が遅れ、きらきらうえつに間に合わないとなれば目も当てられないからだ。


 どれくらい遅れただろうか。重い山雨に見舞われつつも、列車は運転を打ち切ることなく、終着の余目に到着した。

 余目では羽越本線の酒田行き普通列車が乗り換え客を待ってくれていた。きらきらうえつが酒田を発車する時間までまだ余裕がある。無事に間に合いそうだ。胸を撫でおろすような気持で列車を乗り換える。酒田行きのディーゼルカーは、首都圏で見るような真新しい内装をした列車であった。

 気が付くと雨は止んでいた。安心した。もしかすると、陸羽西線のダイヤを乱した豪雨が、羽越本線にも影響を与えていたのではないかと思ったからだ。羽越本線もまた、雨風のあおりを受けやすい路線である。

 しかし、現に酒田まで列車が動いているわけで、雨雲は羽越本線に大きな影響を及ぼしていないらしい。ひとまず安心した。

 酒田行き普通列車は数人の乗客を乗せ、北余目、砂越、東酒田を経て、終点の酒田に到着した。一面に広がる水田地帯を、鼠色の空が覆っていた。


 ついに、きらきらうえつに乗る時が来た! 紆余曲折の末、大金をはたいて新幹線に乗りここまでやって来たものだが、無事に間に合うことが出来た。

 幸い、きらきらうえつの発車時間まで余裕があったので、少しばかり駅前を散策することにした。ロータリーに出て振り返って駅舎を見ると、横長の四角いビルの上に、緑色で「酒田駅」の文字が掲げられている。新潟地区でよく見かける典型的な駅舎だった。駅前には観光バスが停まっている。

 歩道に散らばる水たまりをよけながら、庄内交通の「酒田庄交バスターミナル」まで足を伸ばした。駅前から徒歩2~3分の距離である。オレンジ色に塗られた壁に三角屋根が乗っかっており、ファミレスを彷彿とさせる佇まいだった。ここから東京や大阪に向けに夜行高速バスが出ている。

 バスターミナルを覗き見し終え、酒田駅へと戻る。駅の時計は15時45分を指していた。そろそろホームに入ってきらきらうえつの入線でも拝むか、どれどれ、きらきらうえつは何番線からの発車かな? と、駅の案内表示を見上げてみると、そこには衝撃的な文字列が光っていた。


 『 快速きらきらうえつ 運 休 』


 少しの間をおいて、駅に構内放送が流れた。


 「15時57分発、特急いなほ12号新潟行き、および16時11分発、快速きらきらうえつ新潟行きは、本日、大雨の影響を受けまして運休とさせていただきます。酒田駅からバスで救済を行います―」


 変わりやすいものの例えとして、よく女の心と山の天気が上げられるが、それは日本海沿岸にも言えることだろう。

 今ここで雨が降ってないとしても、羽越本線の沿線では、どこかで酷い雨が降っているらしい。その影響で現実2本の列車が運休となっている。それはあっけないものだった。新幹線を使い倒してまで乗ろうとした、きらきらうえつには乗れなかった。まさか、こんな結末が待っていようとは。


ーーー


 新潟駅行きの代行バスに揺られる。国道を通る代行バスは、皮肉にも羽越本線より海に近いところを走っていた。ここまでの疲れが出たのか少し寝た。再び目を覚ますと、車窓には延々と日本海が広がる。荒々しく波立った日本海に、夕陽の筋が後光のごとく突き刺さっていた。

 その妙に神秘的な光景が、複雑な思いを抱えた私によく沁みたのか、今でも忘れられない。


 代行バスが新潟に到着したのは、予定より1時間ほど遅れての事だった。


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