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「数学の神もイシューアナリシス」 シルヴィア・ナサー『ビューティフル・マインド』

この本は純粋数学やゲーム理論の分野で多大な貢献をした数学者、ジョン・ナッシュの伝記です。彼は現在電波オークションからビジネスのミクロな現場まで様々な場面で応用されているゲーム理論の重要な概念「ナッシュ均衡」を定式化した業績で1994年にノーベル経済学賞を受賞しているのですが、その論文が書かれたのは20代のはじめであったにもかかわらず、受賞した時すでに彼は70歳近くになっていました。というのも、彼は「精神のガン」とも言われる妄想型精神分裂病を30代に差し掛かる頃に発症し、そこから寛解するまでの約30年間研究がままならず、学界では死んだと思われていたからです。それまではなかなか一般にその名前が流布していなかったナッシュを、この本は恐るべき量のインタビューと緻密な知識の再構成によって、見事に描き出しました。読み終わって、ナッシュが生きた数奇な運命を自分も生きたんじゃないか、と思ってしまうくらい圧倒的な情報量の一冊でした。


さまざまな印象的なシーンがあって面白かったのですが、とりわけ印象に残っているのは、ナッシュがイシューの見極めにものすごい労力を割いていたという記述の部分です。彼はいわゆる「直観主義の数学者」で、ポアンカレやラマヌジャンのように、まず天啓を受けたかのように答えがひらめいて、そこから逆算する形で証明を行なっていくというまさに天才型なのですが、そういったインサイトを見出す力に長けた彼だからこそ、むやみに問題を解きまくったりはせず、本当にこれは自分が取り組むべき問題なのか、この問題を解くことが数学界に大きなインパクトを与えられることなのか、ことあるごとに尊敬できる人に聞き、取り組む問題を選び抜いていたそうです。そういったシーンが一度ではなく何度も出てくるので、この「イシューを見出そうと必死になっているナッシュ」が読み終わっても頭の中に残りました。


あと、最後に近くなってナッシュが奇跡的に寛解(≒回復)した後、傲慢な数学の神みたいな感じだった前半生とは打って変わって、おどおどした少年のような老年数学者になって家族やコミュニティを大事にするようになった、というような記述の部分は、ちょっと感動しました。終始ナッシュ礼賛という感じではなく、誠実なファクトベースのドキュメンタリータッチで一貫して書いてきたからこそ書ける感動があったなと思いました。

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