「自分には何もない」でも皆を見下していた、小学生の頃
こんにちは、未織です☀️
今日は、私が小学生の頃を思い出してみます。
勉強「は」得意だった
私は勉強が得意でした。
好奇心旺盛で色んなことに興味をもち、
母の上手なアシストのおかげで、
その興味をうまく調べ学習につなげ、
新聞を書いたりなんかしていました。
本をたくさん読んで、文章を書くのも好きで、
読者感想文が区で選ばれたり。
真面目だったので宿題もちゃんとやって、
授業もちゃんと聞いてて、
テスト勉強をしなくても、だいたい100点でした。
…自慢がしたいのではなくて。
これが私の最初の歪みの原因でした。
自分はどうも勉強は得意らしい。
みんなはどこか私より劣っている。
授業で言ってたのになんで覚えてないんだろう。
なんで宿題サボるんだろう。
なんでこんな問題できないんだろう。
みんな馬鹿で怠け者だ。
みんな私よりできない。
私の方が…
私の方が…
なのになんで、
なんでみんな私より友達が多いんだろう。
なんで放課後に、友達を誘うより前に誘われるんだろう。
なんで夏休みに連絡をとって遊べる友達がいるんだろう。
一緒にプールにいける友達が、キャンプに参加できる友達が、何でも話せる友達が、
…なんで私にはいないんだろう。
私の言葉や態度の端々から、
皆を見下す気持ちが垣間見えていたからだったんだ
とやっと気付いたのは、
中学に上がった頃でした。
長いものに巻かれて
本当の友達はどこに
一年生から六年間同じクラスの、
利香という友達がいました。
利香は姉が二人いて、頭がよく、口のたつ子で、
だいたいのことはみんなより知っていると
常にマウントを取る子でした。
私には、彼女がクラスのなかで
高い地位に立っているように見えていました。
だから、
児童館のお祭りに一緒に出店したアクセサリーショップの準備で
さりげなく全ての仕事をやらされたときも、
大事にしていたストラップを
ダッサとみんなの前で鼻で笑われたときも、
そんなダサい服着てるならここ入れないから
とハブられたときも、
友達をやめようとしませんでした。
むしろ媚を売って機嫌を直してもらって、
一緒にいることで、
自分の地位も上がると信じていたんです。
利香とテストの点を見せあって、
みんなを見下した会話をしているとき、
周りが私たちを白い目で見ていることには、
当時の私は気付きませんでした。
6年生の頃、
やっと、本当に楽しい友達が何人かできました。
そこには利香もいたんだけど、、
でも、そのグループでいるときは、
不思議と利香とも対等でいられました。
たぶんそれは、そのグループが、
もとは鉄棒が好きな人が自然に集まった
グループだったから。
毎日休み時間や放課後に集まって、
ひたすら鉄棒を練習して、
お互いにアドバイスして補助しあって、
どんどん技ができるようになっていって。
誰かが何かできるようになったら、
手を叩いて喜びあって、
先にできるようになった子に憧れて、
自分が先にできるようになったら教えてあげて
今思い返しても、
本当にいきいきした、楽しい時間だった。
この時間を過ごせたというだけで、
私も学んだことがあったんだと思うことができます。
本当の友達は、
マウントを取り合わなくていい、
相手の地位を借りなくていい、
媚びることも蔑むこともない、
ただ同じものを楽しんで、
同じ時間を楽しめる人のこと。
長いものに巻かれていたら、
ちっぽけに見えてもキラキラ光っている
楽しい人やものや時間を
見失ってしまう。
続きはまた明日☀️
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