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読後感#3 わかりやすい民藝

 去年から、備前焼、益子焼、常滑焼、瀬戸焼、唐津焼など焼き物の窯元をめぐることを趣味にしている。焼き物にはまる前は、器の色は地味だし、面白みがないものだと思っていた。しかし、よく見ると形や色は複雑かつ多様で、なぜか惹かれてしまうのである。民芸品、工芸品、いろいろな呼び名があり、柳宗悦の本を数冊読んでその違いを考えたことがあったが、なかなかわかりにくい。今日紹介する本は、そんな民藝の歴史をわかりやすく説明してくれる。

 本書の著者は、福岡市の大壕公園近くの工芸店「工藝風向」の店主である高木崇雄氏。日本民藝協会の常任理事でもあり、民藝についてとても造詣の深い方だ。また、本書にはD&DEPARTMENT主催の「d SCHOOL わかりやすい民藝」のイベントでの、ナガオカケンメイ氏、相馬夕輝氏、日野明子氏の対談も本書には含まれている。デザインや工芸の活動を最前線で行う諸氏の民藝に対する考えも盛りだくさんで紹介されている。

 民藝という言葉は、実は使われ始めてまだ100年経っていない。1925年、柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎が「下手物(げてもの)」に代わる言葉として使い始めた。上手物、つまり上下でいうと上の良いものと比較され、蔑まれていた下手物の名誉回復を試みようとしていたことが見てとれる。“カウンターカルチャーとしての民藝”と本書は言っているが、もちろんこれだけが理由ではないものの、端緒はここにある。
さて、この民藝という言葉を使い始めた柳宗悦は、はじめから民藝品に興味を持っていたわけではない。彼は、最初は宗教哲学者として文芸雑誌“白樺”に寄稿していた。だが、民藝には彼の哲学や「友」は、ここで培われていた。そして、“カウンターカルチャー”は上手物に対するものだけではなく、日本近代への反抗でもあった。美しく、輸出品として売れるか否かの観点から、次第に美術、工芸美術、工芸の順にヒエラルキーが誕生する。工芸というだけで、美術よりは低く見られてしまうのである。柳の「友」はこのヒエラルキーの中で苦しむ。だからこそ、ヒエラルキーをなくすため、その美しさの母胎としての「工藝」の概念がある。
高木氏はさらに、時間を考える。醤油瓶を使って醤油を注ぐとき、使い慣れていない人は勢い余って多く出しすぎてしまう。けれど、使い込み時間とともにそのものを調整するための行為が身体にしみこむ。こういったものも工芸的と呼んでいる。

 柳の民藝の視点は、絵画の度肝を抜くような美しさ、自然の潔い美しさ、そして民藝の身体にしみこむような美しさ、それらの美しさに順位付けなどできないと言っているように思われる。美しさの意味が全く違う。その意味は味わおうと思えばそれぞれの味わいがある。触って壊してしまいたくなるような美しさ、傍にじっと置いて見つめていたくなる美しさ。資本獲得のための順位付けを排除したところに、民藝の本質があるという点は斬新でかつ興味深い。

 民芸品だから美しいというのは間違いだ。どのように美しいと思ったを重視し、その物を民芸品と呼ぶかどうかは二の次だ。今はすぐに物を見てそれを判断してしまう。“民藝品”というラベルが付けば、みんな安心してこれは美しいと言ってよいと思い、「美しい」という。テレビや週刊誌で叩いてもいい芸能人が現れると、みんな安心して叩く。“ラベル”とつけたり“順位”をつけると、知らないものを判断するのは簡単であるが、ものを実際に見ている・経験していないという事実を見逃してしまう。

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