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六話 ひきこもり瑞祥妃は黒龍帝の寵愛を受ける

 それから半月後、楊淑妃が産気づいた。
「才人っ、李才人っ」
「はい、ここにおります」
 陣痛の合間に呼ばれ、側に寄る。
 玉の汗を浮き上がらせながら、いつになく不安気な淑妃に寄り添う。
「恐ろしいの、私は無事子を産めるかしら? 死ぬことなく、この子を抱けるかしら?」
 柔らかな印象でありながらいつも気丈な淑妃の弱音。
 出産は母子共に命に係わるものだ。白龍帝の子を身籠ったのは瑛貴人と楊淑妃以外にも多くいる。
 だがそれは様々な理由で生まれることなく死に絶えた。
 それを見聞きしてきたであろう淑妃が不安がるのはもはや当然のこと。
「大丈夫です、淑妃様」
 紅玉は苦しみに耐える淑妃の手を取り、陣痛の波の間に優しく伝えた。
「貴女様は私と誓約しました。良きものを呼び、悪しきものを避ける力は成されております」
 そう、淑妃が紅玉を側に置くと決めたあのとき誓約は成された。
 あの瞬間から瑞祥の力は淑妃にも影響を与えているのだ。
「才人? それは――」
 目を見開いた淑妃は勘づいたのかもしれない。だが聡い方だ、紅玉の意図や現在の状況を読み取って口を噤んでくれるだろう。
「無事のご出産を願っております」
 最後にそう告げて紅玉は離れる。
 そして、楊淑妃は無事に男の子を出産した。
 赤子でありながら白髪で生まれたその子は次代の白龍帝。
 その喜びの知らせは宮殿内に収まらず、即座に首都・湖仙どころか国中に知れ渡る。
 紅玉は次代の白龍帝が誕生するまでをお守りした働きを評価され、楊淑妃の嘆願もあって早急に正二品・昭儀へと位を上げられた。
 ……そして、産後で休息中の淑妃不在の中。
 中秋節の催事が執り行われた。

***

 蓮の花の形に切られた西瓜や多くの果物が並べられ、赤い蝋燭に火が灯される。
 芙蓉の菓子を切り分け、皆夜空に煌々と光る月を見上げた。
 桂花酒が振る舞われ、宴もたけなわとなった頃。
 例年にはない儀式が行われる。
 二十の年を迎えた黒龍帝が自らの皇后を決め婚姻するための儀式だ。
 礼部尚書の宣言の後、白龍帝が黒龍帝である黒呀を促す。
「【黒龍帝・王黒呀よ。其方の皇后はどちらに?】」
 問いの形をした儀礼の文言。
「【只今連れて参りましょう】」
 同じく儀礼の文言で答えた黒呀は立ち上がり、真っ直ぐ九嬪の座る場所へと――紅玉の元へと足を進めた。
 黒地に金の刺繍が施された袍に、旒を垂らした冕冠。黒龍帝のみが纏える朝服の裾を優美に払いながら目の前に来た黒呀に、紅玉は面紗の中で安堵し表情を緩めた。
 約束はした。思いも交わせた。
 だが、この一番大事な時に来てくれなければ? と不安にもなっていたのだ。
「李昭儀、こちらへ」
 瞬間、静かなはずの月夜の儀式がざわりと騒がしくなる。
 黒呀の元に向かいながら耳に届いた声は様々だ。
 不人気な黒龍帝が選んだのが元最下級妃であることに安堵するもの。
 逆に黒呀の美貌を目の当たりにし、自分が選ばれなかったことを嘆くもの。
 呪われた妃を選ぶことを忌避するもの。
 最後の者達からは「黒龍皇后に相応しくないのではないか」「下級妃のままなら苦言を呈することも出来たというのに」などという声も聞こえてきたため、黒呀の言う通り位を上げておいて良かったと思う。
 黒呀の元へ行き差し出された手に自分のそれを置くと、彼も幾分安堵したような息を吐いた。
 自分が感じていた不安と似たようなものを彼も抱えていたのかもしれない。
 面紗で隠れて見えない笑みの代わりに、黒呀の手をぎゅっと握る。その手を握り返され、供に白龍帝の御前へと向かい礼を取る。
「……【黒龍皇后に望まれし娘。名は?】」
 未だに紅玉を呪われた妃と思っているらしい白龍帝も、驚きを隠しきれず儀式の文言を口にするまでに間が空いた。
 楊淑妃の出産に尽力したことで多少は評価が上がったようだが、黒龍帝に望まれるほどとは思っていなかったのだろう。
「李紅玉と申します」
 今から白龍帝の妃・昭儀から黒龍皇后となるのだ。昭儀の位を返上する意味を込めて、ただ名を口にする。
「【李紅玉。そなたは黒龍皇后となることを望むか?】」
「【はい、望みます】」
 決められた文言を儀式に則って口にしてゆく。
 だが、白龍帝は――いや、黒呀の兄・白儀は兄として納得できなかったのであろう。
 皇帝としての顔を僅かに崩し、確認の言葉を黒呀に投げかける。
「黒呀、本当によいのか? 黒龍皇后は白龍皇后に次ぐ地位を持つ。そのような地位を持つ相手が民に認められぬ者だと其方の評価にも影響するのだぞ?」
「白龍帝――いえ、兄上。全てを理解した上で私は紅玉を選んだのです。彼女だけは貴方にも渡せない」
「っ」
 独占欲とも取れる言葉に、紅玉は面紗の中で目が潤むほどに顔を熱くさせた。
 嬉しいとは思うが、それ以上に恥ずかしく照れる。
 だが面紗を取る前で良かったとも思った。でなければどんなに顔を俯かせていても耳が赤いことは知れただろうから。
「……そうか」
 そう言った白儀の声は、困惑か戸惑いか少々揺れていた。
 弟の惚気に当てられたようにも聞き取れて、少々白龍帝への印象が変わる。
 今のやり取りを見るに、思っていたよりこの兄弟の仲は悪くないのかもしれないと感じた。
 深く息を吐き白龍帝としての顔に戻った皇帝は、儀式の流れに戻る。
「【白龍帝・王白儀の名を持って、黒龍帝・王黒呀と李紅玉の婚姻をここに認める。そして、李紅玉の黒龍皇后としての立后をここに宣言する!】」
 満月の下、厳かな儀式は執り行われた。
 白龍皇后立后の際には盛大な催し物も行われるが、黒龍皇后立后はこのように簡略化されてしまっている。
 黒龍帝が蔑ろにされてしまっているという証明でもあるが、今の紅玉にとっては寧ろ有難かった。
 白龍帝の宣言により婚姻と立后は成立する。あとは、紅玉が宣言するだけだ。
「有難う御座います……これで龍帝との婚姻が成立致しました」
 礼の型を崩し、紅玉は面紗を外す。
 この宣言は、瑞祥の娘としての使命を全うするためのもの。その証である黄金の虹彩を隠していては様にならない。
「っ! そなた、その目は……」
 息を呑む白龍帝以外にも、対面し紅玉の顔が見える位置にいる者は皆驚きを露わにしていた。
 白龍帝の隣に座る瑛貴妃などは驚きだけでなく少々顔色も悪い。
 その様子から、瑛尚書令から紅玉が瑞祥の娘だということは聞いていなかったのかもしれないと思う。
 各々の驚きが覚めてしまう前に、紅玉は瑞祥の娘としての宣言を口にした。
「良きものを呼び、悪しきものを避ける力……婚姻の誓約をもって、この力は地上への恵みと成るでしょう」
 言い終え、小さな口元に笑みを浮かべる。
 これで、自分と黒呀を引き離す者はない。
 引き離したが最後。次代の瑞祥の娘が現れるまで地上は荒廃の一途をたどってしまうのだから。
「そなたが、瑞祥の娘……? それでは、私は……」
 驚きと後悔を滲ませ、白龍帝が手を伸ばす。
 だが、その手が紅玉に届く前に黒呀の手がその身を攫った。
「白龍帝よ。言ったであろう? この娘だけは貴方にも渡せぬと」
 紅玉を閉じ込めるように腕に抱いて告げる黒呀。
 渡さぬという言葉通りの態勢に、紅玉は自身の名の玉と同じ色に頬を染めた。
「……そうか」
 自身の愚かさも自覚していたのだろう。白龍帝は諦め、軽く瞼を伏せ黙す。
 白龍帝が納得の意を示したことで他の者も異を唱えることは出来なくなった。
「では、中秋節らしく新たに妻となった我が妃との時を楽しむ事とします。御前を失礼してもよろしいか?」
 退出の意を告げた黒呀に、白龍帝は無言で頷き許す。途端、紅玉の視界が揺れた。
「え? きゃっ!」
「しっかり掴まっていろ」
 すぐ近くに聞こえた低い声に動悸が激しくなるのを感じる。
 抱きかかえられていると気付いたときには、もう黒呀の足は歩みを進めていた。
「こ、黒呀様? 私、歩けるのですが」
「こうさせてくれ。誰かに攫われぬよう、捕まえておきたいのだ」
 声を掛けることも出来ずにいる周囲の視線を浴びながら、二人は催事の場を後にする。
 そのまま黒呀の宮へと向かう二人を邪魔する者はいない。
「紅玉……私はもうそなたを幸せにする権利を手放す気は無い。それが例え天に御座す黄帝だとしてもだ」
「まあ、それは流石に不敬ですわ」
 あまりの言葉に驚くが、その思いは伝わった。
「……ですが、私も他の誰でもなく、黒呀様に幸せにして頂きとうございます」
 恥ずかしくて消え入りそうな声になったが、黒呀の耳にははっきり聞こえたらしい。
 愛おし気に額に口づけられた。
「そなたを幸せにすることが私の幸福だ。必ず幸せにすると約束しよう」
 誓いではなく、約束。
 だが自分達二人にとってはどんな誓約よりも強い契りとなる。
 紅玉はすでに幸福に包まれていることを実感しながら、喜びの涙を滲ませ答えた。
「はい、私も貴方様を幸せにするとお約束致します」

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