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あるアメリカのいち美術家からみた、現代の日本画

 丁度いま、アメリカの美術大学の準教授が、日本画を習得しに通ってきてくれている。今日で一週間になる。

 最初は和紙を買いに行って、ドーサを作り、2~3日かけて引き、弁柄と酒で念紙を自作し、パネルを加工して板張りにし、骨描きを乾かして胡粉下地を…などとやっていて、ようやく今日から着彩に進むことができた。

「いやあ、日本画の準備がかかること、かかること。」と、まんざらでもない様子で作業してくれる。こういう特殊な体験が楽しいものだ。
ご本人は、油彩の専門で、同時にグワッシュ、水彩、銅版画もされている。

 作業の合間に、最近日本で観た展示について話をした。昨日は若い世代の日本画を観たという。
 「まあまあかなー。うまく描けているけれど。」
と、正直な感想を述べてくれた。

 我々が話したのは、こんなところだった。
 「日本画の塗り方、油彩の塗り方をミックスしているんだ。それが新しい方法だと思って試みているのは、分かる。そこは理解できる。しかし、まったく成功していない、と言える。ある部分では日本画、ある部分では油彩。絵の効果として塗り分けられているのではなく、ただの偶然によっている。何の効果も生んでいない。すごく奇妙に見えるのだ。」私も共感しながら話をした。


 日本画と油彩画の技法の混合。それ自体は良いのだが、何かの効果を狙ってわざわざ混合しているようではない。作家がそれに気づいていないのは、油彩、グワッシュ、水彩をそれぞれに学んでいないからで、違いについて無知だからだ。それであの奇妙さに気が付かないし、効果についても考えが及ばないのだ。

 そもそも、古典的な日本画の描き方を知っているのかすら、怪しいところがある。そんな作家が多くなった。ある画塾では、「こころで描け」と言っているという。それも、もちろん大事だ。しかしながら、日本人はもっと理知的な民族だし、もっと科学的に絵画を描いてきた。けっこうな理屈があって、そしてあれだけの名作を、続々と作り上げてきたのだ。とてもじゃないが、気分次第でまぐれ当たりに描いていたら、到底完成しない。1枚の名作のために人生など何周必要になるのか。次の世代に受け継がせるものも、あやふやなものになってしまうだろう。




 ちなみに私は油彩画は小学3年生から始めて、高校生の時には朝から晩まで油彩漬けで、油彩画家になろうかと本気で考えていた位だった。アクリルもその頃に平行して描いていた。水彩画も大人の絵画は中学生の時から本格的に習って続けていたし、水墨画を始めたのも、中学生の時だった。大学を卒業してからは銅版画をやって、個展も何度も開催している。

 日本画の描き方は、独特でオンリーワンの世界観がある。私はこれを「日本画道」として、ひとつの哲学にまとめたい位に思っている。この日本画の世界をひとたび知ったならば、油彩とまぜて奇妙になった、などとは言わせないと思うのだが。

 私の開催している日本画クラスでは、集まる生徒さん達は皆、不思議なほどに古典の日本画をまずきっちりと習得したい、と意欲を持って通ってくださる方ばかりだ。授業を行う毎に、「日本画道」を制定するとしたら、ここがポイントになるだろう、というヒントが集まってくる。案外、このメンバーで、少なくとも土台は出来上がるかもしれない。


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