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連載小説 2020年代という過去<8章 戦い> #8-4 麗しい人生

目次

前話 8章 戦い #8 -3 華のない人生

 空気を変えるように、麗華が少し明るいトーンで切り出した。
「ねえ、今度は私の話もしていいかな?」
 純と夏美が驚いたように麗華の方に振り返り、ゆっくりと頷いた。
「私は北陸の田舎の出身でね、二人よりも随分古い環境で育ってると思うの。父は市役所に勤める公務員で、母は専業主婦で、父方の祖母も同居してて、3つ年上の兄がいて、5人家族で育ったの。…うちは、母親の立場は弱い家だった。父が母に『稼いでいるのは俺だ』とか『食わしてやってるんだ』って言ってるのを何度も聞いたな。かといって母がパートを始めようとした時は『お前が外に出て稼げるわけがない』って反対するのよね。今でいうモラハラなんだけど、当時はそんな言葉は無かったからね、私はそれが普通なんだと思ってた。祖母は基本的に家のことには介入しなかったんだけど、兄の育て方にはかなり口を出していたみたい。この家の後継ぎだからって、祖母はとにかく兄に甘かった。兄が小学生の頃は、家族や親戚で勉強やスポーツを教えてあげて、いくつも習い事をさせててね。だから兄は、成績も良かったし、いろんな賞を取ってたな。中学に入ると祖母がお金を出して、地元では珍しい家庭教師も雇ってたよ。だからね、私もね、兄と同じように家族が世話をやいてくれるものだって思ってたの。でも兄のように家族が手伝ってくれるわけでもないし、家庭教師もつかなかった。勉強を教えてって言っても、『女の子はそんなに頑張らなくていいんだよ』って言われてたの。段々ね、子供ながらに、何を期待されているのかわかってくるのよね。男は男らしく、女は女らしくっていうの? “麗しい華”っていう名前をつけるくらいだしね。でも、両親を見てるとね、その女らしくっていうのが、麗しい華でいることだけじゃなくて、男を立てないといけないっていう意味も含まれているような気がしてね、何となく納得できないモヤモヤを感じてた。でね、男に頼らなくていい経済力を身に付けようって、自然にそう思うようになってたの。母のようにはならないって。私は兄に比べると、勉強しやすい環境は与えられなかったけど、精一杯の努力をして名門大学に受かることができた」
 麗華は、ふふっと寂しげに笑いながら続ける。
「そしたらね、可笑しいの。兄が地元の大学に受かったときは、親戚一同が大騒ぎでお祝いしたんだけど、私がもっと有名な東京の大学に受かった時は、そんなふうに祝われなかった。祖母も母も、お祝いしてくれるような言葉は言ってくれなかった。父は、『嫁に行く時に恥ずかしくない教育を受けられれば、それでいいんだから、今からでも進路を考え直していいぞ』って」
 純が首を傾げなから聞いた。
「せっかく受かったのになんで考え直すの? 教育ってお嫁に行くためのものなの? 大学の目的ってそうじゃないよね?」
「純と私の家族の価値観は違うのよ。そういう風に生きてきた人たちなのよ。お嫁に行くことが女の幸せ。母のように嫁ぎ先で虐げられたとしても、それが女の幸せ。父は私を大事にしていなかったわけじゃなくて、本当に愛情を込めて、そう言っただけなの。祖母も母も、兄を超えてしまうような、男を立てられない私を、可哀想に思ったんだろうね」
「お母さんもそうなの? お父さんにモラハラされても、女の方が劣っていないといけないって思ってるのかな?」
「うーん。私もね、母は我慢しているだけで、実はそういう古い考え方に抵抗感があったりするのかなって思ってたの。でもね、大学生の頃、母が東京に会いに来てくれた時にね、当時付き合っていた彼氏と会ってみないかって母に聞いたことがあったのね。その時、母は『その彼氏は麗華よりも偏差値の低い大学の人だから、結婚することは無いだろうし、会わなくていい』って」
「え? どういう意味?」
「純には信じられないよね。男性は女性より、学歴も年収も高いものっていう価値観があるんだよ。そうじゃないと結婚することはあり得ないって。母はそういう価値観の住人だったわけ。だからモラハラに耐えられてるんじゃないかな」
「…麗華は、家族に対して不満はないの?」
「あるよ。…あるけど、育った時代も違うし、仕方ないのかなと思ってる。まあ、進路は考え直さずにそのまま大学に入って、その学費は出してもらったしね。卒業後は一流企業に就職して、今では兄よりも年収は高いし、結婚もしてないし、気まずいから実家に帰る頻度は減ってるけどね」
 黙って聞いていた夏美が静かに呟いた。
「やっぱり、京本さんは私とは違います。私だったらお父さんに言われるがまま進路を変えてしまいそうですし、何より名門大学や一流企業に入るような実力も無ければ、入るための努力もできません」
 麗華はにっこりと微笑んだ。
「私が言いたいのはそういうことじゃないの。私、そんな風に変な反骨心があったから、就職してからはどんどん迷走しちゃったんだよね」
「迷走? 京本さんはずっとエースとして活躍されている人だと聞きましたが…」
「いやいや、全然。あ、まあ、うーん、仕事は順調なんだけど、生き方はね、今も迷走し続けている感じ」
 夏美は不思議そうに麗華を見つめている。麗華は夏美に微笑みを返し、話を続けた。
「私の世代はね、うちの会社で女性の採用が増え始めた頃だったの。だから新人時代は目立ってた。ただ職場にいるだけで先輩たちには新鮮だったみたいで、『職場に花がある』ってポジティブなことを言われたり、『キャピキャピ遊んでるだけだ』ってネガティブなことを言われたり。ある日ね、定時後に休憩室で同期の女の子と三人でお菓子を食べてたの。そしたら次の日に先輩から、『新人の女の子たちが休憩室でサボってるって言われてるから気をつけるように』って注意されたの。『業務時間外でも、遊んでいる姿を見せるのは、残業している人を不愉快にさせる』だって。で、タバコを吸う人たちは、勤務時間内に喫煙室で集まって談笑していることを指摘してやったのよ。そしたらね、『喫煙室では仕事の話をしてるからお前たちとは違う』って。…その頃は新人だったから、それ以上は言い返せなかったんだけど、とにかく悔しかったのよね。どうして、男性が集まる喫煙室は仕事の話だと言われるのに、女性が休憩室にいると遊んでいると決めつけるのか。定時後に新人同士で集まってお互いの相談をしてると思ってくれないのか。いや、仮に仕事の話じゃなかったとしても、どうして定時後の休憩を責められるのか。悔しくて悔しくて…どうしたと思う?」
 純が間髪入れずに答えた。
「私だったら、上司に訴える」
「あはは、純らしいね。でもね、当時の上司も、その上の上司も、先輩と同じ考えなのは何となくわかってたの。訴えても意味が無いのよ。だから私はね、喫煙室に乗り込んだのよ」
「え? 乗り込むって?」
「そこまで言うなら、どんな会話してるのか聞いてやろうと思ってね。ふかしタバコの練習をして、『実はタバコ吸うんですよ』って言いながら、男性ばかりだった喫煙室に通うようになったの。『可愛い服にタバコの臭いがついちゃうからやめなよ』って言われるから、服もパンツスタイルにしてね、黒とかグレーとか地味な色の服ばかり着るようにして、髪もショートヘアにしたの」
「ええ? 今のイメージと全然違うね。それで? 何か変わったの?」
「先輩たちとは話しやすくなったかな。喫煙室では、確かに仕事の話をすることもあったから。…でもね、男性たちで盛り上がっている喫煙室に私が入った瞬間に、急に静かになることが何度もあったの。その場にいた同期の男の子に後でこっそり聞いたら、新入社員の女の子たちについて、誰の胸が大きいかとか、誰のスカートが短くてパンツが見えそうとか、可愛いと思う順位付けとか、そういう話をしてたみたい」
 それを聞いて夏美がハッとしたように反応した。
「どこの職場もそうなんですね」
「やっぱり夏美さんのところも同じ? 彼らは悪気はないんだよね。それが男の可愛さだと思ってるっていうか。…でも私は嫌だった。やっぱり、私たちだけ遊んでるように言われるは理不尽だと思ったし、それ以上に、自分も含めた同期が、そういうネタにされているのが気持ち悪くて。私たちは、この会社の第一線で活躍できるようになりたいっていう意志を持って入社したばかりで、男性から性的な視線を集めたいなんて思ってなかったから。悲しくて、悔しくて、余計に喫煙室通いは続けたんだよね。私がいることで流石に話しづらくなるみたいだから。二年くらい通ったかなあ」
 夏美が申し訳なさそうに訊いた。
「あの、それってそんなにいけないことでしょうか」

次話 8章 戦い #8-5 脱却

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