大きな視点で街の営みを考える その1

本日、某ニュースサイトからリンクされていたコラムにとても気になる記述があったので、日本のこの20年を振り返るという意味でも、少し私見を述べさせていただきたいと思います。

私が気になったのはこのコラムの本筋の部分ではありません。

また、筆者の伊藤乾氏も公金の支出に関してそれほど専門的な知識は持っていないと思われるため、不正確な記述と感じる部分もあります。

しかし、「税金」や「公金」、「お金のプール論」による緊縮財政を語るきっかけになると思い、取り上げさせてもらいます。


以下、当該サイトより引用です。

「*大教授の机は50万円、イスは30万円也

私が東大に任「官」した1999年、当然ながら国立大学でしたが、私の教官室の什器、つまり椅子や机を選ぶことになり、大塚商会などのカタログから選ぶことになったのですが・・・。

 驚きのあまり、声が出ませんでした。

 当時の国立大学東京大学の教授というのは50万円の机の前に30万円の椅子で仕事する環境になっていたのです。

(中略)…「什器代が150万ある。でも什器は一つも要らないから、コンピューターやアクセサリーなど、必要なものを買わせてくれ」と頼み、実際その通りにしました。

 しかし、しばらくすると周囲の研究室で、高価だけどかさばる椅子や机が放出されて、2か月も経つ頃にはすべての什器がご近所のお古で揃ってしまった。」

(引用終わり)

注)什器…生活器具一般を指すが、ここでは教授用の机と椅子、棚などのことだと思われる。



さて、この研究室では什器代を節約して、研究に必要と思われるコンピューターなどの機材を購入したようです。


この行為は社会的にはどういう意味を持つでしょう?


研究室を「一般家庭」に置き換えると、

「お父さんの」という「無駄な支出」を削り、

「子どもの参考書」という、必要なものを購入した。

という感じになるでしょうか。


この「イチ研究室」にとっても、什器は後から「無料」で手に入っているため、「短期的に」みると特に不便はなく、便益を受けているだけです。

家庭に例えると、「やりくり上手なお母さん」といった風でしょうか。


では、どこに問題があるのか?


確かに、ミクロな視点では何も問題が無いですし、無駄な消費を抑えることで地球環境にとってもエコであると言えます。

それでも、社会全体、つまり「良い殿様」の視点からみると、マズイことがあるのです。

「良い殿様」というのは、街全体を見渡せて民衆への配慮もできるドラマの大岡越前のようなイメージでしょうか。

以後、略してYTSと呼ぶことにします。


このYTS視点で「長期」と「お金のプール論」を踏まえると見えてくる課題を次回以降掘り下げてみたいと思います。


「間違った(十分な供給能力がある国での)」「緊縮財政」により、経済(所得)が成長できない(かった)不幸を無くすために…

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