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92年

今年は2022年。よく僕は「あれから○年か…怖っ!」と物思いに耽るのだが、92年が30年前となっている…。怖っ!
92年、僕は小学校3年生だった。この年の出来事だとはっきり分かる思い出は「阪神タイガースフィーバー」だ。この年、阪神タイガースは前年までの不調が嘘かのように安定した投手陣や「亀・新フィーバー」と言われた亀山選手、新庄選手を筆頭に若手の躍動があり、優勝争いをしたのであった。ちょうど子ども会のソフトボールを始めた僕は父や兄らと野球をテレビで観るようになった。それまで漫画の影響で西武ライオンズのファンだったが、阪神にすっかり鞍替えしてしまったことを覚えている。
僕は八木裕選手の高い放物線のホームランに憧れてフォームをよく真似していた。後から振り返れば85年の日本一以後、暗い話題が多かったタイガースに新世代の風が吹き、チームが活性化するという久々の流れが来た年だった。
阪神タイガースは優勝争いするだけで、フィーバーが起こるチームだがこの年は凄かった。何せAクラスも久々なんである。特に亀山、新庄両選手を様々な媒体で見るようになった。亀山選手は高校時代、バンドマンでベースを担当していた…なんて話まで読んだ記憶がある。
さらに長年リスナーだった「おはようパーソナリティ道上洋三です」でも大変な騒ぎだった。応援歌まで出してはったと思う。昨日の試合結果は7時30分くらいからでそれを聞いてから学校に向かっていた。85年の優勝を覚えている兄からは「優勝のとき、道上さんは神宮の球場を走り回ってた」と嘘か本当か知らないが、そんな思い出話も教えてもらった。
結果はご存知だと思うが、優勝は黄金時代を迎えつつあった野村ヤクルトに奪われてしまった。阪神も劇的な勝利を何度もしていたが、ノムさんにさらにその上を行かれた感じだった。
その年のヤクルトメンバーは肩がバカ強い飯田選手、クリーンアップは古田、広沢、ハウエル選手、池山選手もいてよくパカスカ打たれていた気がする。優勝も納得の布陣だった。
しかし、阪神の中心メンバーは若く来年こそ必ず、と思わせてくれた年であった。その後の再びの転落(しかも長い)があるとはこの時考えてもいなかった。
93年の話になるが、開幕戦でマイク仲田がめった打ちにあった衝撃は今でも残っている。ソフトボールも転校を機にやめてしまい、入った少年野球チームに嫌気がさし、数年は野球から距離を置くようになった。再びしっかり見るようになったのは八木選手が代打の神様になった97年からだった。この頃の話はまた。

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