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第1章/古着販売の始まりと廃棄問題との出会い。

こんばんは✨

LIVEコマースを用いて、古着販売を行っている米森麗那と申します。

これまで数多くの記事を執筆してきましたが、内容は全てBeauty Japanについてでした。

本日からは、たくさんの気付きや豊かさを与えてくれるBeauty Japanから少し離れて、これまで一度も深く語ることのなかった「自分自身」にスポットを当てて、想いを綴っていこうと思います。


 プロローグ

私の主な事業は「LIVEコマースを用いた古着販売」です。
実は、この事業には切り離すことのできない重要ワードがあるのです。

それは【衣服の廃棄問題】です。

日本の衣料廃棄物は年間140万トンにも上り、衣服1枚を300gと想定した場合、約46億着分も廃棄処理されているのが現状です。

中にはタグ付きで誰にも着られていない服もあるという現実。

私はここに着目し「服を捨てる」から「服を譲る」のシフトチェンジを掲げLIVEコマースを利用した古着販売を行なっています。

この記事では、そんな「衣服の廃棄問題」を掲げ事業を行う私が、現在に辿り着くまでに、どんな人生を送って、どのようなスタイルで古着販売を行っていたのかを書き綴ります。

私の人生における「古着のルーツ」



今も鮮明に記憶に残る6歳の私。

少し笑みを浮かべながら、とても大切そうにファッション雑誌を抱えています。

物心ついたときからオシャレをすることが大好きだった私は、雑誌の中のモデルさんと自分を重ね合わせては鼓動の高まりを感じていました。

けれど、シングルマザーで育った私は、欲しい服をすぐに買ってもらえることはなく、着なくなった服を捨てることも絶対にありえない。

私の日常に「買う」というワードはなかったのです。

そんな家庭環境で育った私は、唇をかみしめては「自分で稼げるようになったら大好きな服を好きなときに買うんだ」と、想いを募らせていたのです。

そんな私も気づけば高校進学を間近に控えた中学3年生。

週末だけ学校に通い、平日は働くことで単位が取れる制度を設けた高校があると知りました。

幼少期の経験から人一倍自立心が強く、「自分でお金を稼いで好きな服を買う」という目的を、とにかく早く達成したかった私は迷うことなく、この進学先に決めたのでした。

やがて安定して稼ぐことができるようになった頃、小さな疑問が浮かびました。

「新品が買えるようになったのは良いけど、どうして無地の長袖が3900円もするの?」
「どこにでもあるデザインなら古着屋さんに行って見つけよう」

当時は無自覚でしたが「簡単に買えない、捨てるなんてありえない」という、幼少期の経験からくる感覚のおかげで、10代後半にして「私の人生における古着のルーツ」と「捨てない循環」は完成していたのでした。

結婚、そして最大のピンチ到来



自分で稼ぐこともできるようになり、大好きな服にも困らない生活を送っていた日々に、さらなる幸せが訪れました。

当時お付き合いしていた彼と、数年間の交際を経て結婚したのです。

更に2年ほど、新婚生活を楽しんだ後に待望の第一子を授かりました。
そして翌年には、年子となる第二子も誕生したのです。

様々なことがありつつも、順風満帆だった私の人生。
絵に描いたような幸せの絶頂で訪れたのは「旦那さんの借金発覚」でした。

絶望の淵に立たされた私は、「このままではいけない」と首を横に振り、なんとか自分を奮い立たせました。
そして、冷静を取り戻していく中で、こんなことを考えていました。

古着販売の始まり



「私にできることってなんだろう」
「本業の仕事もあるけどプラスの収入が欲しい」
「お小遣い程度の金額でいい」
「そうだ、不用品を売って返済の手助けをしよう」

そんなときに見つけたのが、大手フリマサイトの行うLIVEコマース。

これが、今「Rily代表 米森麗那」として事業を行うまでとなった、古着販売の始まりだったのです。

決めてからは、ひたすらに古着を売る日々。
最初は本当に「不用品販売」で、子供服の販売をしていました。

売れ行き好調で、すぐに手元の子供服が品薄になったため、自分の不用品であるレディース服に切り替えることにしました。

けれど、レディース服が全く売れない壁にぶつかってしまったのです。
当時のLIVEコマースで行っていた古着販売は、ハンガーにかけている服を次々と紹介し、価格をつけて販売するというもの。

「この売れない状況を打破する方法はないのだろうか?」と、自身の販売スタイルを客観視して考えていた日のこと、「そうだ!私が古着を着て紹介しよう」と浮かんだのです。

最大の武器「私が着る」ということ



第1回目の着用古着販売を終えた後、私の脳内は安堵と期待でいっぱいでした。
「服って、着て魅せた方が売れるんだ」と、感動にも近いような感情が溢れ出てしまいそうだったのです。
売れないレディース服が爆発的に売れるようになり、世間の注目を浴びるキッカケとなったのも、後に続くこの販売スタイルでした。

この大手フリマサイトの展開するLIVEコマースで、「Rinaの古着販売」が浸透した頃、私物の不用品では商品展開が難しくなり、店舗仕入れもスタートしていました。
順調に売り上げていく中で、悲報が飛び込んできたのです。

「LIVEコマース終了のお知らせ」
突如届いた知らせに、目の前が真っ暗になりました。

新たな出発



大手フリマサイトの展開するLIVEコマースが終了する話題で持ちきりだった、ある日のこと。
お客様から「他媒体で古着販売はしないのですか?」のメッセージが届きました。

「私の古着販売を楽しみにしてくださる方がいるんだ」と思うのと同時に、借金返済の足しにするために始めた、お小遣い稼ぎ感覚だった古着販売が、すでに私の中では大きな存在となり「楽しみ」として刻まれていることを静かに感じていたのです。

そして、大手フリマサイトの展開するLIVEコマース終了と同時に、私の古着販売の軸は、大手写真投稿型SNS企業が展開するLIVE配信へと移り、古着販売を続けることを選んだのです。

販売の軸とする媒体が変化しても、売り上げは右肩上がりだった古着販売。
しかし気づけばネックになっていたのが「仕入れ」でした。

「毎週の店舗仕入れ、しんどいな。オンラインで何とかならないかな。」

この悩みこそ、後に「服の廃棄問題」を掲げるまでになる、私の事業のキッカケとなるものだったのです。

運命の出会いと奇跡の連続



ある日、たまたま見つけた古着の仕入れ業者様。
とにかく大量に古着を仕入れたかった私は、試しに仕入れてみることに。
その際、「よろしければ」のアンケートに「答えますよ」と書き込んだのが、運命の歯車が動き出す瞬間となったのです。

この頃は、世界を脅かした感染症が大流行していた時期。

人々は外に出なくなり、「出ること=悪いこと」と定義つけられてしまうのではないか?と、思うほどの空気感でした。

そんなときに、注目を浴び始めていたのが「LIVEコマース」でした。

思えば、外での楽しみを抑制されている人々の関心は、静止画のみのECサイトではなく、実際に手に取っているかのような疑似体験ができる、LIVEコマースへと移行していっていたのかもしれません。

当時、今ほど注目度の高くなかったLIVEコマースは、私の事業規模でも珍しいもので、瞬く間に注目の的となったのです。

そんな、ある日のこと1通のメールが届きました。
なんと先日仕入れた古着業者様から「事業について話が聞きたい」という内容だったのです。

私は、これまで自分の身に起きたこと、行ってきた古着販売の販売方法など、全てを話し出しました。

この取材記事は、仕入れ業者のHPに大々的に掲載していただくこととなったのです。

そして、これを機に新聞社やメディア、「NEWS ZERO」などのニュース番組から取材オファーがひっきりなしに届き、様々な媒体にて「ファッション業界の新風」として取り上げていただけました。





このときの、仕入れ業者様とは今でも深く交流があり、仕入れ先としての取引も盛んに行っています。

辿り着いた問題と気持ちの変化




人生初の脚光を浴びつつも、私は衣服の闇にも触れていました。
これは、大好きな服を生業とする私には、見て見ぬフリなどできない問題だったのです。

運命の古着仕入れ業者様との話し合いの中で飛び出した「衣服の廃棄問題」について。
タグがついた新品も含まれる現状で、衣服の廃棄は年間140万トンにも上り、衣服1枚を300gと想定した場合、約46億着分も廃棄処理されているという事実。

この業者様との関わりを経て、私の古着販売は「捨てない循環を作り出し、環境問題にも触れ、結果的に地球を救っている」ということに気付きました。

私の場合は高校生の時から、「簡単に買えない、捨てるなんてありえない」という感覚のもと、フリマで売れない服は捨てるのではなく、必要とする国に寄付する手段をとっていました。

当時は、ただ「簡単に買えない、捨てるなんてありえない」という感覚からくる、言わば個人の見解として「フリマ販売や他国へ寄付」をしていただけです。

幼少期の経験と思春期の感覚が、大人になった今、こうして生きている。

「好き」そして「お小遣い稼ぎがしたい」から始まった私の古着販売が、変化と奇跡を重ねて、「環境問題」にまで進むことができたのです。

この業者様との出会いは、確かに私自身に変化をもたらしました。
仕入れ先に、この業者様を選んで本当に良かったと思っています。

この「環境問題に触れている」ことがキッカケとなり、「私の行っていることで地球を救えて、必要な人へ服を届けることもできるんだ」と、どんどん思いが強く熱くなるのを感じていました。

「Rily」立ち上げ、そして・・・




その後、私は自身の行う古着販売を本格的に事業化し、「Rily」立ち上げに至ったのです。

今回綴ったのは「過去の私」についてでした。

次回執筆する記事では「現在の私に」シフトしていくのを感じていただきながら、今もなお課題としている「古着に対するイメージ」や「イメージ払拭の方法」、「新たな気付き」などに着目して書き綴っていきます。

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