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大怪我から手に入れた覚悟と自信!

今から約7年前の2013年2月、私は当時ヒューマンアカデミーのフットサルカレッジに所属しあと1カ月で卒業というタイミングで前十字靭帯断裂半月板損傷の大怪我を負いました。
練習試合での相手選手の過度なタックル、まあ接触です。
その場で激痛が走り倒れ込んだのは今でも鮮明に覚えています。
ただ、この時は部分断裂程度に過ぎなかったんです。
何故なら5割程度であれば走れたり動けたから。
痛み、違和感しかなかったが3月に卒業を控えた当時の仲間たちと一緒にフットサルをしたい!その思いがあって無理をしまくりで練習に参加しておりました。と、同時に現在所属させていただいているエスポラーダ北海道のセレクションがあったからです。
当時は学生でしたのでこのセレクションに受かるか否かで4月から憧れのFリーガーになれるかなれないかの瀬戸際に居ました。もちろんフットサル中心の生活をしていた為、就活などはしたことがありません。
2月24日、セレクション当日、最初のテストは体力テスト。20メートルシャトルラン×3往復を3セットとかだったかな!?
すみません、ハッキリは覚えておりません。
その2セット目悪夢が…
切り返した瞬間に膝から崩れ落ち目の前が真っ暗…
一瞬だけ大量の星が目の前に広がった。
この瞬間私のセレクションはもちろんお終い。
2月26日、病院にて前十字靭帯断裂と半月板損傷との診断を受け、約1年のリハビリとの宣告を受ける。
当時のノートにこんな事を書いている。

・4月の半ばに手術することになり今年中の復帰は厳しいかもしれないらしい。何も言えない。一つ言えるのはみんなの期待を裏切る形になってしまい迷惑しかかけていないということだ。目の前の希望が一瞬で消えてしまった。なってしまったものは仕方ないのかもしれないがまだ割り切れてはいない。全ては準備不足であり自身の未熟さがこの大事な時に出てしまった。情けないし力の無さを痛感。自分のやって来た事は間違ってなかったはずなのに…
チャンスが来年になるのかいつになるのかは分からないけど目標設定は変えずなるべく早く復帰出来るようリハビリに立ち向かう。かなり遠回りをする形になり時間やお金もかかり今後たくさんの人に迷惑をかけてしまうが、いつか結果を出して恩返しする。それが自分に出来ることであるしむしろそれしか出来ない。この怪我があって良かったと後に思えるように強くなってピッチに戻る。

ここから怒涛のリハビリ生活が始まります。
まだまだ長くなりそうなので結論を先に言うとこの怪我があって私は変わった!変われた!良かったんです!
確固たる自信とメンタル、考え方がガラリと変わりました。
先ず着手した事を記載します。

・1日のスケジュール通りに動く
・リハビリメニューは人のおよそ3倍
・ジムに通い上半身の筋力トレーニング
・自分との向き合う時間を作成(ノート記載)
・スポーツ選手のドキュメンタリー番組を見まくる
・フットサルに限らず色々なスポーツを見る
・独学でスペイン語の勉強
・家族以外の人、病院の人以外とは極力会わない

復帰するのであってもただ復帰するのではダメだなと一番に思っておりました。
転ぶ事がダメなのではなくどうやって起き上がるかを常に自身に問いて来たのでこの考え方を用いておりました。
今となってはよくあんなにトレーニングし自分に厳しくやれていたなと自分でも凄いなと思えるくらい毎日一歩一歩自分を進めておりました。
でもここまでやれたのは目標と夢があったからです。
このリハビリ期間は仕事もしていないので収入はもちろん0。実家で生活させてもらっていたので生活費も親に負担してもらっていた。
相当な迷惑をかけていたと思います。
毎日病院に行く時に母親は嫌な顔一つせず、『はい、病院代』と毎日くれる訳です。これを約1年ですよ。申し訳無さと感謝しかありませんでした。
だからこそ私は自分に限界を作らずやり続けました。というよりやり続けられました。
それがモチベーションになり自分の為の目標や夢が、親孝行する為の明確な目標や夢になっていきました。
必ずFリーガーになってピッチで戦ってる姿を見せる!それを常に意識し日々過ごしていました。

今ノートを振り返って見てみると大それたことを書いているし大きい事を言ってやがる。
当時ちょうど本田圭佑選手のプロフェッショナルを何度も何度も繰り返し見ていたので大きな影響を受けました。

『情熱は足りているか?』
やる気を継続させる為にもなりたい自分を演じてしつこいくらい大袈裟にやり続けました。
意識して意識して意識しまくって無意識にそれが出来るようになるまでやり続けました。無意識化ってやつです。
どんどん自分の中での“普通”という概念が変わっていき考え方も変わっていきました。
物事の捉え方も変わり最初は怪我したことが良かった!と強がって言っていた自分が心の底から怪我して良かった!と言えるようになっていきました。
少しずつ変化し自分に自信を持ちました!それも確固たる自信です。

この怪我があって自分自身と向き合うことが出来、親のありがたみを直に感じた瞬間が目の前にあったことで今までの自分は“本気ではなかった”と捉えられ今に繋がっております。
自分のやっている事、やるべき事に真摯に向き合い常に『情熱は足りているか?』と問いています。
※これが今の闘将というところに繋がっているかも

この怪我から復帰しエスポラーダ北海道のサテライト(2軍チーム)で1シーズン過ごし、バサジィ大分で念願のFリーガーとなれました。
大分での経験は選手としての価値をとてつもなく大きく変えてくれたので後日改めて詳しく書きたいと思います。

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バサジィ大分の一員とし地元北海道での試合に家族、親戚が駆け付けてくれピッチで戦っている姿を見せられた時の安堵感は今でも忘れません。

この気持ちを忘れずに私は今後もピッチに立ち続け自分に出来ることを情熱を持ってやり続けます。

この後もアキレス腱断裂の大怪我をしましたが、気持ち的な焦りは全く無く新たなチャレンジとし約半年間周りの方々に支えられまた強くなって復帰出来ております。

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こうやって応援してくれる方々が居てくれるから頑張れるしパワーの源となる。
結果で恩返し出来るようもっと情熱注いで頑張らないとな!

以上

長々と読んでいただきありがとうございました!


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