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劣等感、厭世的な気分で朝を待って
名声を強請って、カネやトシで図って、ないもので見栄を張る。自己を肯定できない自分を肯定できずに、それを懺悔する。
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夜をよく過ごし、23時ほどには帰宅した。そこまで疲れ切ったわけではなかったために、少しばかり家のことをこなして、パラパラと書類や図書を眺める。カリフォルニアにシャルドネがちょうどよく、喉を濡らし、心を満たす。「はあ」
友人らからの連絡をさくっと目を通して、さくっと応答する。異国からの報告を受け、「順調であろう」と曖昧に評価して、返す。特別な1日だった。またとない。
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5時ほどに起床する。目覚めは良い。空気は少し濁っていて、窓を全開に開け、さーっと外へ出る。肺が新鮮な空気で満たされていく。川沿いを少しばかり歩く。キラキラした水面に、朝陽があたり、乱反射する。きっとこうであろうと思うことは、きっとそうであって、あまりにも差分のない。「まあそれもいいか」
友人が我が家を訪れる。「朝早いよ」と文句を言いつつ、クロワッサンを近所で調達して、温めておいた。マンデリンを挽き、注ぐ。まだアイスにするのは早いかな。7時過ぎには、彼女と食事をとる。家が近いこともあって、顔を出す彼女だが、やってくるのは久しぶりな気がする。やっと手に入れた工芸品を自慢するなどして、時間を過ごす。
8時には、彼女を追い出し、9時過ぎには身支度をして家を出る。まーっすぐと繁華街まで歩き、地下鉄に乗る。
こなすべき事柄をこなしつつも、散歩しつつ、脳内をきれいにしておく。揃わない現実と、揃った理想に嫌悪感を抱きながらも、それらのバランスをとることに往々にして時間をかけている。「まあ、それが仕事...か」
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意味を持たせすぎた言葉がある。それは意味という言葉であって、意味という意味以外にも多様な意味を内包している。決めなきゃ機能しないじゃぁんってことであって、意味を意味たらしめる意味すらも意味であって、自己矛盾に陥っている。これは構造的な欠陥であって、意味によって定義された意味も不明確になることを意味している。
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