自分史第10弾~暴走族3人組の結成~

今日は、タイトルの暴走族3人組のエピソードに書きたいと思います。

小学1年生の頃には、立派に車椅子で暴走族化していました(正確には、僕らのほうが正解かも・・・(笑))。入学してから寮生活と支援学校で常にR君とN君と一緒に生活していました。R君とN君は、僕よりも車椅子の漕ぐスピードが速くて悔しい想いをしたのは過去の記事で書きましたが、改め言わせてもらうと超悔しかったんです。毎日、毎日、必死になってついて回る生活をしていました。でも、「漕ぎ方が違う」とふと思ったんです。ここからが、僕のトライ&エラーが始まりました。
 最初のうちは、僕はR君の漕ぎ方を真似ました。結果は、少しだけ早くなりました。少しだけ、早くなってそれ以上は早くなりませんでした。決定的な違いは、R君は足を駆使して走っていたんです。僕は、足を使うことができなかったので、腕だけ真似をしていました。R君は、一旦のったスピードを殺さないように漕ぐのはうまかったんです。テクニックというやつですね。そこに気づいた僕は、スピードを乗せないといけないと思い、次はN君の真似をしました。N君は、パワーと手数で漕いでいるタイプでした。真似したおかげで、僕はまた少し早くなりました。そして、ちょっとだけR君とN君についていけるようになりました。でも欲が出てきました。N君を追い抜いて、R君のすぐ後ろをついて移動したいと思うようになっていました。どうしたら、もっとついていけるんだろうと考えるようになりました。
 僕は、N君を超える手数とR君のテクニックを真似て漕げば、早く漕げると考えました。それを実行するべく、まずはN君よりも多く手を出すことを意識しました。その結果、瞬間的にN君よりも前に行くことができました。でも、維持するのは難しかったんです。だから、ここでテクニックを使いました。手数とテクニックの活用は、なかなか難しかったです。でも、毎日毎日意識して行うことで少しずつ進歩している自分を体感するのはものすごく楽しかったのを覚えています。その結果、N君よりは前で移動できるようになっていました。
 僕の研究より、3人で早歩きよりも速いスピードで進む車椅子集団と化しました。僕らは、周囲の人を抜いて、ドリフトをかけながら曲がり角を直角に曲がり、また周囲の人を抜くという行為に爽快感を感じていました。でも、周りの人が人からしたら危険極まりなかったと思います。暴走の代償としたのは、車椅子の劣化が激しいと看護婦さんに怒られまくるということだけでした。代償よりも爽快感が上だったので、そんなことをお構いなしに僕ら3人は続けて生活をしていきました。で、つけられた名前が「車椅子暴走族3人組」「悪ガキ3人組」でした。通り名のとおり、どんどん暴走していきい、いたずらをしてきました。

今日は、暴走族3人組となった経緯を書きました。明日は、悪ガキ3人組と呼ばれた由縁を書きます。
では、また明日。

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