自分史第5弾~保育園で得た経験から僕からのメッセージ~

5歳半からひかり園と並行して通いだした名峰保育園は、何も抱えてない人たちとの生活でした。僕は、それまで俗にいう健常児と一日の大半を生活することはありませんでした。通いだしたとき、僕自身が周囲の子たちから不思議そうな目で見られるのが不思議でした。僕にとっては生まれてからこの体が普通で、周囲の子たちのほうが異常に見えました。この時は、何が普通かわかりませんでした。並行して通っていたひかり園は、障がい児が集まる園だったので、なおさらわかりませんでした。ただ当時、僕はひかり園の子たちと名峰保育園の子たちが交わる場所はないんだなと何となくわかっていました。だから、違和感を覚えたのを覚えています。
 そんな違和感を持ちながらも、保育園生活では楽しい思いや悔しい思いをいっぱいできました。楽しい思いは、書き出したら山ほどあります。ですが、僕の中には悔しい思いのほうが大きく刻まれているのでそちらを今回は紹介したいと思います。

冒頭に書いたように、僕は初めて健常児と長い時間いる経験する機会を保育園に通って得ました。その中で、僕のできないことの多さが目立ちました。「歩くスピードや服を着替えるスピードが遅い、油ものはなるだけ控えること、喧嘩をしたら一方的にやられてしまうこと」ということです。これらは普通に考えたら、「障がいを抱えてたらしょうがない」ということに当てはまることでしょう。でも、僕は両親から「障がいを持っているからしょうがない」ということを教わっていないのです。だからこそ、できないことの多さやスピードが遅いということの自分へのいら立ちや悔しさをひしひしと感じました。
 日常生活への関与は、園の先生たちは両親から「すべてのことを自分でさせてください」と言われていたので、手助けはしませんでした。僕は、両親に相談をしても「自分でどうしたらできのかを考えなさい」ということしか言われませんでした。だから、「なんで、できないんだろう?どうしたら、できるんだろう」と工夫をしました。本当に悔しすぎて、涙を流しながら服を着替えたこともありました。
 悔しい気持ちをバネにして、必死に考えて生活を送りました。その結果が、今の僕です。自分のことは自分でできるし、できないところはちゃんと自分から頼むことできる力を身につけました。本当に当時の悔しさもなく、園の先生や両親がすべてをやっていたら今の僕はいません。この時の悔しさは、今でも忘れることができませんが、いい思いです。

今日の自分史を書いていて、改めて思うことがあります。「車椅子だから・手に麻痺があるから・移動のスピードが遅いから」という理由は、小さいうちは、あまり言わずに自分でできるまでさせることが大事です。体の神経はこの時期に出来上がります。慣れたらできるという成功体験や工夫するということを学ぶいい機会だからです。今の僕しか見てない人は、よくあることを言います。

「大ちゃんは、障害が軽くていいよね。うちの子には、無理だわ。」

僕からしたら、僕だってできませんでした。だから、悔しい思いをした。でも、それを乗り越えたからこそできる今があるということを知ってもらえたら嬉しいです。そして、おこがましいかもしれないですが伝えたいことがあります。

「あなたの子の可能性を奪ってるのはあなたたちかもしれないですよ。その子の可能性を勝手に決めつけないでください。その子を信じて、一緒に考えてあげてください。」


このメッセージは、障害児の親御さんだけじゃなく健常児の親御さんにも伝えたいことです。まだ、子供を持ってないので説得力に欠けています。ですが、本当に僕の経験ベースからの伝えさせていただけるなら上記の言葉を伝えたいです。

 以上で、今日の記事は終わります。最後まで読んでいただきありがとうございました。では、また明日。
#保育園 #先天性脳性麻痺 #ヒルシュスプルング病 #車椅子生活 #5歳児

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