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「トイレの100W」という表現から考えるトイレのイメージの変遷

今日は日中雨がパラつく陰鬱な一日でした。

さて、……

あなたは、タイトルに記載した表現の意味が分かるだろうか? 分かる人は、申し訳ないけどオジさん・オバさんだと思う(ごめんなさい)。

この種の話で分からない人に解説するのもヤボだけど、背景も含めて意味を書くと以下の通りとなる。

まず、Wは「ワット」と読む。電気の単位である。
今はほぼ見なくなったけれど、100W電球というものがある。これは一般家庭で使う照明器具としては最も明るい部類に属する。トイレの照明は、暗くても困るけど、明る過ぎても落ち着かない。ほどほどが求められる。

これを前提として、「トイレの100Wのような人」という表現が生まれた。あなたの周囲にもたまにいる明る過ぎる人、明るいんだけどその場にそぐわない人、無駄に明るい人を揶揄する際に使われる。

書いてみて、やっぱりヤボだなあと改めて思う。

前提となる背景を知らない人が増えると、その表現のおかしみが通じない。これだけ説明して理解してもらうとなると言う側も面倒だし、言われた側も間がズレて今更笑えない。かくてこの表現は消えていく、ということなのだろう。

そもそもトイレは「はばかり」という別名もあるくらい、人前で堂々とその名を口にすることがはばかられる場所である。だから、こっそり目立たないように扱うべきだとの無言の共通認識があった。

従って煌々と照らされたトイレの中で用を足す、というのは確かに似合わない……と思われていた。

でも今は、学校でもトイレを明るく快適な空間にすることが求められていると聞く。薄暗くて怖いというマイナスイメージからの転換が求められているのだ。

入学時に子どもがトイレを怖がることがあり、排泄も大切な人間の生理であると教える意味もあるらしい。そうなると、学校の怪談で定番だったトイレも、その地位を別の場所に譲る日が近いかも知れない。

たかがトイレ、されどトイレである。昔のイメージがいつまでも保持されるとは限らない。

昭和レトロという言葉が人口に膾炙しているけれど、ちらちらと平成に流行ったものについてもレトロでリバイバルする時代。新しく良いものができると、また元の古いものが懐かしく思われたりするのは、人間の性だろう。

そんなことを考えつつ、自分がますますオジさんになったことを痛感する。

お読み頂き、ありがとうございました。

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