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朝ドラを見ていて、学歴に関わり気になったこと

連休最終日の今日も暑かったですね。テレビのニュースでも親が疲れた顔をしながら水遊びに興じる子供の姿を映していましたが、こういう時は親も自らの健康優先で行動した方が良いと思います。万一の事態が起こったら目も当てられませんし。

さて、……。

標題についてであるが、昔からうっすらと疑問を感じていたことでもある。だから、朝ドラの本筋とはあまり関係がない。

今放送中の朝ドラ「らんまん」で、東京(帝国)大学理科大学の植物学研究室に出入りを許された主人公・萬太郎の学歴は小学校中退。そのことで何回か道が閉ざされそうになるが、都度何とか乗り越えてきている(朝ドラだからw)。

周囲には当然予備門から入学した本物の学生がたくさんいて、彼らはそれなりのプライドを持って勉学に励んでいる。

この学生たちは皆、それなりに裕福な家庭の出身であろうと思われる。萬太郎の小学校中退はどうかと思うが、この時代であれば小学校を出たらすぐに奉公に出たり、家族と農作業に従事したりするのも珍しくなかった。早速働かないと一家の生活が成り立たなかったのである。

そういう中で、勉学に打ち込み大学まで行けるというのは、それなりの経済基盤がある家でなければできないことだったのは想像に難くない。

萬太郎の場合、家庭が裕福で欲しい本は何でも買ってもらえたため、小学校中退でありながら英語が読めたりもする。彼は、学歴はなくてもそういう素養を身につけられる環境ではあったのだ。

言い換えると、そういう環境がなければ生活に追われて学問の道に進むことができない。そういう人が結構な割合でいたということ。

帝大や早慶等を出た人は、その当時も俊英であったとは思う。しかしながら、競争相手は現在ほど多くはなかったのではないか。進学を志す母集団は明治を含む戦前の方が小さかったはず。しかも優秀な生徒の一部は士官学校・兵学校に回っていた。

もっとも、今でも家庭の事情等で進学を諦める人はいる。それでも、能力がありながら進学しなかった者の割合は昔よりはかなり少なくなった。だからその分、今の方が競争が厳しくなっていると考えるのは自然だと思う。

それでは明治以降、日本の研究や技術開発が欧米列強に劣っていたかと言うとそうでもない。やはり能力の高い人はいて、日本を牽引していたのである。

これはいかなる理屈によるものだろうか。これが昔からうっすらと疑問に思っていたこと。才能のある人が運良く適材適所に回っていただけかも知れないが、その「神の見えざる手」はどんなものだったのかについて現状では解がない。

尻切れとんぼのような記事になって申し訳ないのだけど、朝ドラを観ていて昔から抱いていた疑問を思い出したので書いた次第。もしご存じの方がいたらご教示賜りたい。

お読み頂き、ありがとうございました。

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