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学校教育に対するご提案を試みてみる

今日はいろいろと書類が回ってきててんてこ舞いしていました。今はかなりの書類をデータで残すようになっているのだけど、データについてはサーバの上でどれが本当に大切なのかを表示しにくいと思っています。

さて、……。

娘の通う学校が学年閉鎖になった話は昨日書いた通り。それもあって学校教育について色々と考えてみたのだけど、まずこのままで良いのか? と思うことがあった。

それは、学校は21世紀になっても学校に通い、同じ時間に同じクラスメイトと同じ授業を受けなければならないのか、ということ。

そんなの当たり前じゃん! と言われると少し怯んでしまうが、社会人になるとこれは全く当たり前ではない。むしろ、同じ会社の同じ部署の人間といえども、同じ時間に同じ作業をしている人は工場等を除けばかなり少ない。

もし学校が社会に出る準備をする所だとしたら、今の同時同メンバー同授業はあり得ないと思う。少なくとも今風ではない。

というのは、今の職場は多層的な分業によって業務遂行されている。常に同じメンバーで同じことをしていない以上、お互いに空いた時間で用件を伝えられるよう基本はメールとsharepointで業務がなされる。このことで、それぞれの時間的制約に折り合いをつけている。

こういった社会の実態を踏まえれば、学校も授業は習熟度別に3パターン程度を用意して、生徒が各々のレベルに合ったものを自ら選択してオンデマンドで受講すれば良いのではないか。つまり教えるのはコンペで勝ち上がった少数の先生で足りると私は思っている。

そして、担任の先生は、アシスタントとして対面で生徒の理解不足分を補うようにする。そうすれば、今よりも自分の弱点がはっきりするし、その部分を対面で教わることで理解度は高まるはず。

もちろん、対面での指導が必要なため例えば朝7時から夜18時を理解不足対応時間とする。勤務時間もあるので先生は2部制で対応すれば良い。各科目の標準進度は定めておき、それに遅れている子は学校に集めて補講をする等の対応をする。

こうすることにより、基本的に生徒全体の理解の底上げにはつながると思う。

体育なども、レベル分けを行い3グループに分けてそのレベルに適した指導を行うようにする。現状の放っておいてもできる子と、泳げない、逆上がりできない子を一緒に教えようとする方が無理があると思う。

「できない子に対する思いやりの心が育つ」という反論が聞こえてきそうだけど、学校でいじめが絶えないこと、いじめは相手の劣等感を突いてくることが多いことを考えれば、この反論は全くの夢想だと思う。

授業も全体に教えるのではなく、個別の理解促進に主眼を置けるようにすれば、授業中にぼーっとしている子は減るはず。

このようなことを考えているのだけど、もし不足や不具合があるようであれば、ご指摘頂きたい。

お読み頂き、ありがとうございました。

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。