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私が鎌倉殿の13人から得たこと

昨日はついもう一杯と飲んでしまいました。結果、早朝から目が冴えて困りました。気をつけてはいるのですが……。

さて、……

今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は全回観た。三谷幸喜さんの脚本の重厚さと軽妙さのバランスが絶妙で、毎回楽しみにしていた。

そう思ったのは私だけではないようで、Twitterでも放映が終わるたびに「トレンド」入りしていた。またその回でメインとなる出演者名も、合わせて取り上げられていた。

そういうtweetの中で、自分が見落としていたことに言及があると「そんなシーンがあったんだっけ?」と思ったり、「リアルの歴史ではどうだったのか」とファクトを確認したりとドラマから派生した楽しみも持てた。

飛躍したことを申し上げるようだけど、このドラマには日本人が求めるものが全て入っていたように思う。それは滅びの美学であり、家族愛であり、自己犠牲であり、潔さであり、ギャグである。

滅びの美学

主人公の北条義時は生き残ったが、二代将軍・源頼家を支える宿老13人の多くが非業の最期を遂げた。そして源氏嫡流も同士討ちして絶えた。そういう滅びについて、なぜか日本人は強いシンパシーを感じてしまう癖がある。

家族愛

伊豆の小豪族に過ぎなかった北条氏であるが、家族内でいがみ合っているシーンはほとんどなかった。基本は親子兄弟仲良しであったし、あちこちの親類縁者も総じて円満だったように思う。

政子と義時が父時政を追放する前に一同が集まり、大姫の唱えていた呪文が何だったかを皆で考えるシーン等はその白眉だろう。そして、そういうシーンを混ぜ込んだ後にその家族が別離することとなると、その寂しさが一層際立ったように思う。

自己犠牲

義時は自分の信念に従って行動していたが、私利私欲はなかった。ごちそうを食べ、美酒を飲み、美姫を招き、賄賂を受け取るような場面はついに出てこなかった。

そして、義時追討の院宣を受けた時に、自分一人でそれを背負おうとした。そうやって鎌倉を守ろうとした自己犠牲の姿は、強権の度を深める中でもなお政子の演説と相まって御家人の心を捉えた。それにより鎌倉方が大勝利を得ることにつながった。

潔さ

このドラマの中で、潔くなかったのは最後の後鳥羽上皇くらいのものではなかっただろうか。

実際にきれいごとだけで済んだとも思えないが、木曽義仲、壇ノ浦で滅んだ平家の公達、源義経、畠山重忠、和田義盛、源実朝と醜い最期を晒さなかった。この潔さはバカにできない要素だと思っている。

ギャグ

以上の要素だけでもかなりのものであるが、ここにギャグが加わることで緩急の間が生じてより効果的になったというのが私の見立て。放送が終わって一週間が経ち、なおこのドラマが人々の口の端に上るダメ押し点だろう。

どうしても話が重くなりがちな中で、ギャグとも取れる軽妙なやり取りによってふと救われた気持ちになる。三浦義村の「もうすぐ死にます」は傑作だったし、起請文を吐く際の八田殿の「俺の指を使え」はシュールだったと今でも思う。

これらの要素が幾重にも絡み合うことで、ドラマの幅も広がり厚みも持てた。故に「完」に至っても余韻が容易に尽きない。

大いに楽しませて頂いたこと、深く感謝申し上げる。

お読み頂き、ありがとうございました。

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辻六道🥚
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