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社会における分断と承認欲求を考える

前回書いた記事に関連して、人に相手にされていないと疎外感を抱く人が増えると社会の分断につながるのはなぜか、を考えてみる。

その前提として、人間の承認欲求はかなり強いことへの認識が必要だと考える。人として誰からも好かれたい、一目置かれたい、認められたいという気持ちは、大なり小なり誰でも持っている。

たまに人嫌いな人はいる。でもそれは、かなりの確率で承認欲求が満たされなかった経験があったからであろう。

かつて人に認めてもらうのに失敗したために、人に好かれるかの不安が先に立ってしまう等のことがあると、人に接することへの拒否感が先に立ってしまう。でもそういう人があらゆる人を拒否するかと言えば、そうでもない。

人の承認欲求は、恐らく生物としての「ヒト」が、かつて暮らしていた自然の中では弱い存在だったことから生まれていると思う。ヒトは弱いからこそ集団で暮らして敵から身を守り、狩りをした。集団の中で認められることで、より良い待遇が得られた。

自らが生き残るためには、人に認めてもらうのも必要なスキルだったのである。でも、それが時に厄介なトラブルも引き起こす。

「メンツを潰された」人の怒りは激しいし、「狼が来た」と嘘を言ってまで注目を集めようとする人もいる。極論でネット炎上する人は後を絶たず、社会的に成功した人へのネガティブな感情すらかき立ててしまう。

先のアメリカ大統領選挙結果。トランプ前大統領があれだけ大統領としての品位に欠ける言動をしていても、選挙結果は最後の最後までもつれた。理屈では考えられない事態であろう。

これも、疎外感を抱く少なからぬ人たちが、自分の気持ちをトランプ大統領が代弁してくれたと感じたからだと考えると、大いに納得がいく。代弁は承認欲求を満たし、そうされた人の行動は理屈を越え得るのだ。

少し引いてみれば、生存が制度として保障されるべき現代社会においては、承認欲求も盲腸と同様に本質的な目的は終わったとも考えられる。でも、人のよりよい生活を願う欲はなお残り、承認欲求を基にした行動は続く。

そのことにより格差が生まれ、成功者とそうでない者の間には分断が生まれる。私はそのように理解している。

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