コミュニケーションは前提である一方で、その円滑化は簡単ではない
日が差してくると、やっぱり暑いですね。でも今日は天候よりも、安倍元首相のご回復が気になります。
さて、……
何か問題が発生した際に「先方とちゃんとコミュニケーション取ってたの?」と聞かれること。これってサラリーマンあるあるだと思う。確かに、何らかの点でコミュニケーションが不十分だった場合がほとんどである。
でも、これって冷静に考えるとほぼ同じことを言い換えているだけである。なぜなら、コミュニケーションが取れていなくてうまくいく場合はまずないのだから。同じ状況を別の表現で説明したに過ぎない。
うまくいかずに勃発する最大の災厄は戦争であろう。うまくコミュニケーションできていたらそうそう勃発するはずがないのだが、なぜか世界のあちこちで戦争はしばしば起こる。
見方によっては日常のコミュニケーションギャップよりも更に深刻かも知れない。何と言っても頭の良い外交官が多く関わっているのに起こってしまうからだ。この事実を踏まえると、コミュニケーションってかなり難しいことがつくづく分かる。
実際、傍で聞いていて話している2人の会話がかみ合っていないと思うことがある。別に聞き耳を立てていたわけではない。たまたま入ってきた会話が、少なくとも私の言語能力を超えていたのである。
それでも、その2人はその不咬合をあまり気にしていないのが不思議ではあった。一方で、会議の場で微妙に理解できない発言について「それってこういうこと?」と問うと「そうじゃなくって……」と言い返されることがある。
会議の場合は、お互いに組織を代表して出ているので妥協が許されないし、まあいいやと流す訳にもいかない。お互いの意図を検証し合うことは結構ある。
ここでは、自分の意思を相手に分かるように表出する能力と、相手の意思を受け止めて自分の言葉に変換して受容できる能力が問われることになる。
この2つについては意外と皆が自惚れていて「自分が言ったことは皆に伝わる」「誰かが言っていることは聞けば分かる」と思い込みがち。実はそうではないことに気付かねばならない。
逆に言えば、そうではないと思えないところにコミュニケーションを妨害する因子が巣くっていて、少なからずそのリスクが発現するからこそコミュニケーションができていない、という状況が現れてくる、ということだろう。
もしかしたら、コミュニケーションができていない最大の理由は、自分はコミュニケーション能力があり、簡単にできるという思い込みかも知れない。
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