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人間のやるべきこと、機械のやるべきことの棲み分けだけでは済まなさそうな予感

冷たい雨は帰宅時にも降っています。
でも、渇水気味ですからね、我慢します。

さて、……

AIの導入議論が盛んになるにつれて、機械でできることは機械でやる、人間は人間でしかできないことをやるべきと言われる。

でも、その仕分けって誰がやるのだろう?

ものごとの開発には、必要性からのアプローチと技術の種からのアプローチがあると思っている。ここで必要性からのアプローチは、人が自分でやることを前提に、それを楽にする方法を探すことから始まったと認識している。

つまり、無人で一つの仕事を機械にやらせられないかという発想は、経営的な立場の人間でなければ難しい。一方で経営的立場の人間は、現場の細部を知らないというジレンマがある。

そうなると、現場の人間に業務内容を細かく分解してもらってその一つ一つをAIに学習させて、それを何度も現場で試して改善点を見つけて、何とか形にしていくことになるのかなあ、と思っている。

この辺の理解が違っているのであれば、ぜひご指摘いただきたいと思う。

現場の人間としては、やがて自分が要らなくなるために業務分析をすることになるのか? と考えると複雑な思いを持つだろうことが想定される。また、この作業は目の前の実務を行いながらということになるのだけど、それだけの余力はあるのだろうか?

実現間近と言われている自動運転も、この前のパラリンピック会場で目の不自由な人と接触事故を起こしてしまったように、まだまだ改良の余地がある。日本みたいに交通マナーが良いところならともかく、すり抜け・割り込みが当たり前の国での自動運転は、ハードルが高いと思う。

まして、人間しかできないことをやる点については、現状は人間の圧勝だと思っている。

この前、AIの作文というのを見せてもらった。膨大な記事データを記憶させて、そこからテーマに沿った内容を作文してくるのだけど、正直なところ違和感があった。確かに日本語が書かれていて何となく読めるのだけど、繋がり方が不自然だったのである。

そして、AIは自ら独自の文章を一から作り上げることはできない。過去の記憶からそれっぽいところを探して繋ぐだけである。

ただ、だから人間はまだまだ大丈夫だというつもりはない。何らかのブレークスルーが生まれれば、あっという間に逆転される可能性もあると思っている。

その時が来る前に私は逃げ切れてしまう気もするけれど、子供たちのことがやはり心配になる。

もしかしたら、人が余った社会における、「あるべき人の生き方」自体を考えるということになるのかも知れない。それは人間にしかできないことだよなあ、と思っている。

お読み頂き、ありがとうございました。

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