忖度文化がまだ残る会社での生き残り方
週末の夕方、近づく休日に心躍り始めるのを妨げるように起こるアクシデント。やっと片がつきました。
さて、……
日本の忖度文化は、まだまだ根強く残っている。残念ながら、私の会社でもそうだ。そして私は、忖度という行為に全く向いていない。昇進度合いが同期の真ん中あたりというのも、そこに一因があるという自覚はある。
せっかくなので、若い人向けのメッセージに言い換えてみる。まずは、
会社は「作業」ができるだけでは評価されないよ
作業ができる=仕事ができるではないからね
評価する人の意向や好みをよく見極めて、それに合った成果物の作成が必要だよ
ということになる。だから
普段から上司がどのような主張をしているかを把握して記憶に留め
最近好んで使っている表現や経済用語を散りばめた
資料を作らなければならないよね。更に、
忙しそうかを判断し、話しかけるタイミングも見極める
のはもちろん
上司が誰と仲良し或いは相性が良いかも見定め
可能であればその相性の良い人との付き合いを、自らも持つようにする
くらいのこともやらなければならない。
なぜこのような努力が忖度文化の中で有効なのかを考えると、煎じ詰めれば
会社の仕事には正解がある方が珍しい
ことに遠因があると気付いた。
だからこそ、
評価対象は結果だけではない
アプローチの仕方や対処方針の理解の得やすさも評価の対象となる
一方で、それらの部分は残念ながら数値で測りにくい。評価をする際には上司等評価者の主観が入るのは否めない。
好みのテイストの資料を作り、説明し、相和する人とつき合っていくことが、忖度文化では不可避である。エクセル関数やマクロを使いこなせても、きれいなパワーポイントを作れても、それは作業である。作業ができるだけで高評価は得にくい。
なお、そうは言っても評価者の意向を常に意識できるのも能力である。従って、これもまた全ての人にできることではない。
私の場合、そういう能力がかなり低いことは自覚しているので、これは最初から諦めざるを得ないと思った。そして、むしろそれでも今の職位にいられることを感謝している。
但し、これは会社の人員がそれだけタイトになっていることにも要因があると思っている。昔は何だかんだと言いながら人員にゆとりがあった。でも、今はそれがなくなり、全員現役とせざるを得ない。
長い不況の中で会社が人員を絞ったことで、忖度できない人間といえども会社は使ってくれる。結果としてこのような生き残り方があり得たということ。
もっとも、そういう時代になったことを喜ぶべきか、人員不足で余裕がないと嘆くべきかは人それぞれである。
お読み頂き、ありがとうございました。
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