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ニュータウンの功罪

今日も冷え込んだ一日でした。こういう日が続くと、早く温かくならないかな〜と思うのですが、ある程度寒い日が続かないと花が咲かない品種もあるらしく、そのあたりのさじ加減が難しいですよね。

さて、……。

昨日の記事の中でニュータウンについても触れた。でも、ニュータウンそのものについてもっと語られても良いと考える。そしてそれは、功罪のある存在だというのが私の結論。

功は何と言っても人々の旺盛な住宅取得意欲に応えたこと。高度経済成長期に地方から都市に流れ込んだ人は多かった。その彼らが家を買いたいと考えるようになった時に、需給は圧倒的に需要超過であった。

これには、日本の伝統的な持ち家志向が拍車をかけた側面がある。当時、家を建てる・家を持つは男子一生の事業とまで言われていた。

ちなみに、家を何軒も取得した経験者はそうそういない。だから、一生の事業というのは間違いないところだとは思う。そして、家を建てた人に対して「これで君も一国一城の主だね」という賞賛ややっかみの言葉もよく聞かれた。

ただ、ニュータウンは旧来の住居とは異なる側面もあった。因習めいたルールがなかったのもその一つ。それまで山だったところなのだから当然とも言える。

また、子育て世帯が多く集まったことから周囲に似たような境遇の人が多く、関係性を築きやすい点もあった。

更に、基本的に道路も整備されていて走りやすい、店舗や病院なども予め計画的に配置されていた。

ただ、それらの中にはデメリットに転化していったものもある。

まず、ニュータウンに移り住んだ親世代は、家を継ぐという意識が薄かった。元々地方の長男だった人は少なく、だからこそ都市に出てきた面があったので、これは当然の帰結だったかも知れない。その雰囲気はその子ども達にも受け継がれた。

結果として、地域でまとまることが困難になった。大きくなった子ども達が実家を離れていくのだから、これはやむを得ないこととなった。

また、似通った世代が集まったことで、各年代毎の人口差は激しくなった。親と子の中間の年代が少ないことは、その後も年々持ち上がる形で継続するのだからこれはやむを得ない。

結果として、しばらくは増え続ける子どもの数に対応して校舎を増設した学校も、しばらく経つと教室にかなり余裕が出た。そして、近隣の学校と合併することになったりもした。

タウンとは町のこと。本来は町が永続的に発展していくことを期待してニュータウンが作られたのだが、旧来の町と比較して「代々受け継ぐ」ことが困難な状態になってしまった。これが今に至って大きなデメリットになったように思う。

継続性を意識しない町作りは、やはりどこかで破綻するかいびつな綻びが表面化することを改めて感じている。

お読み頂き、ありがとうございました。

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