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実家の処分が進むかも知れない件について

「気温が低い」から「空気が冷たい」に感覚が変わった昨今、いかがお過ごしでしょうか。北国は雪の季節を迎え、雪かきや雪下ろしに労力を取られ、車の運転にも神経を使うことと思います。心身ともにお疲れ気味だと思いますが、御身大切にお過ごし下さい。

さて、……。

いきなり私事で非常に恐縮なのだけど、私の実家が売れるかも知れない状況になった。もし、あなたがこのような状況になったら、どう感じられるだろうか。

唐突な問いであることは承知。でも、今あなたが実家住まいでなければ、親の存否に関わらずいずれは訪れる問題だろう。

実際、実家近所の某お宅は、ある時帰省したら建屋が完全になくなっていた。伝え聞くところによると、もっと街中の便利なところに建つマンションに引っ越したとのこと。

歳を取ると足腰が弱る。これを努力で補うのには限界がある。また、どうしても持病の一つや二つは出てきて、病院通いも必要。この移動手段も車を運転できるうちはよいけれど、昨今の高齢者の運転操作ミスによる事故を見ていると、いつまでも運転できると思っていてはいけないと感じる。

だから、親が存命中であっても家を手放す可能性はある。

まして我が家のように、親が足の骨を折って独居ができなくなり、施設に入居、そして加齢に抗しきれず死去ということとなると、待ったなしとなる。

いや、待ってもよいのだけど、何を待つのか? 住まない家を持ち続けるのか? どうなったら売るのか? という課題は残り続ける。

「遺品を整理して」とか「自分の私物もまだあるし」と売らない理由はいくらでも挙げられる。あれこれ理由を並べて売らないのはもちろん個人の自由。でも、家は古びていく。

そして、家は持っているだけでも固定資産税はかかるし、火災保険ぐらいは掛けるもの。隣り近所の迷惑を考えれば、庭の雑草取りも必要。こういった部分でお金は掛かり続ける。

そう考えると、古びて行くだけの家を持っていることによる経済的な影響はそれなりに大きい。思い出に浸る代金として、それは妥当だと思えるだろうか。私はそうは思えず、姉も同様であった。

母が生きている間は売ることができなかったが、今なら売れるという状況にいたり、不動産屋さんに話を持って行った。

実はニュータウン的なところは、皆世代が近い。皆が同じように歳をとり、同じように子供達が育って家を出ていく。その結果として、売却物件は結構出ている。しかも、そのお値段は路線価よりも低い。

このような状況の中で、家を見たいという人が現れた(←今ココ)。
成約まで進むかは不明、でも意外に早く現れたことによる驚きと期待に若干動揺もしている。

お読み頂き、ありがとうございました。

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