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最近、聞かなくなったコスパという言葉

今日はよく晴れて、冬の割にはやや温かな一日となりました。でも、日が暮れるとやっぱり冷え込みますね。

さて、……

ちょっと前まで「あんなのであの値段って、コスパが悪過ぎだよね」、逆に「こんなに美味しいものがワンコイン!? コスパ最高!」という言い方が普通にされていたと思う。

コスパ=コストパフォーマンスの略語である。リーマン・ショック以降の日本では、かなり人口に膾炙した言葉だったと思う。でも、最近あまり聞かなくなったとも感じているが、あなたの体感でこの点はどうだろうか?

もしかしたら、あまりにも当たり前の感覚になったから敢えてその言葉を使わなくなったのかも知れない。でも、多分コスパの追求では満足できないことに気が付いたのではないかと思っている。

というのは、コスパって基本的に目一杯の値切り行為と同じだから。

値切ることが好きな人というのは一定数いて、特に関西系に多い気がする。でも、値切る行為自体が目的化してしまう場合があって、それは明らかにおかしいと思う。でも、気付いたらそうなっている人もいるのは確かである。

コスパを追求した買い物では、最高に満足できるものはまず手に入らない。その理由は簡単。そういうピンのものは、裕福な人がさっさと買ってしまうから。ゆえに、最高の一品はディスカウントされにくいのが実態。

次に、もっと深刻なのは売る側がコストを切り詰める結果、我々が気付かない何かを犠牲にしている可能性があるということ。犠牲にしているのが、安全や健康影響であるならば、それは取り返しが付かないことも起こり得る。

本来、価値のあるものはその価値に見合った値段が付くべきだと思う。それを軽々に下げようとするのは、価値感を疑われる。まして、ただ値を下げさせようというのであれば、人格まで低く見られかねない。

どんなものにも「アソビ」というのは必要で、自転車のチェーンもピーンと張っていたらうまく回らない。ブレーキもちょっと握ったら途端にギュッと締まるようでは乗り心地が悪くなる。

コスパが口癖の人からは、どうもこの「ギチギチ感」が漂ってくるように感じており、正直一緒にいてくつろげない。ぶっちゃけ楽しくないのである。

そんなことを思っていたところ、昨今のコロナ禍で安心と安全といったコスパで量れない要因がクローズアップされたために、コスパという言葉自体も使われにくくなったのかな、と考えている。

お読み頂き、ありがとうございました。

               タイトル:※PexelsのMonsteraによる写真

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