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かつての中流が今では上流になったことを憂う

今日は急遽老人ホームの母を見舞うこととなりました。面会人数の制約があり、キャンセル待ちをかけていたところ空きが出たので、行ってきました。この件は別途書こうと思います。

さて、……

かつて「分厚い中間層」という言葉があった。また別に「一億総中流」という言葉も。

今は、中間層自体がレベルダウンして、なおかつ薄くなる一方である。バブル崩壊、リーマンショック、コロナ禍と波状攻撃を受ける中で、たくさんいた中流の人達が減っている。

めでたくブルジョワ化した人もいる。でも、それはかなり珍しい。総じて立ち位置が下方に移動している。

日本の生産性の低さは、前々から指摘されてきている。それがあまり改善されていない以上、収入が下がるのは当然なのかも知れない。

昔は、何をやっているのかよく分からない人が職場にいた。良し悪しはともかく、当時は彼らを雇用し続ける余裕があった。しかし、今ではそれも失われている。

人口が横ばいから減少に移っている。だから、本来は求人倍率は上がる方向に動かなければおかしい。しかしそうはならず、正規雇用者の数は減っている。

かと言って、有期雇用、派遣社員、アルバイト等で中流の収入を得られる人は余りいないのではなかろうか?

こうなると、必然的に社会における中流の人の割合は下がる。さらに、中流であった人達も足元がぬかるみ、沈んできている。

これは結局のところ、新しい収益の柱を見出せずにきたことが原因だと思っている。

利益=収益−費用である。極めて単純なのだけど、収益が頭打ち、さらに減少したのに利益確保を目指した結果、事実上費用削減一択になってしまった。これが雇用人員減、更に回り回って中流の減に繋がっている。

この状態は、ぶっちゃけ社内の雰囲気も明るくしないし、社会もギスギスしたものとしていく。そのことには皆薄々気付いていても、背に腹はかえられず、直接自分が関係しないものとして放置されがちとなる。

やむを得ないことであるが、もう少し収益の柱を立てることに全力を尽くすべきだろう。

俯瞰すると、日本人は我慢や耐え忍ぶことは良くも悪くも得意である。つまり、得意分野で経営を続けているというのは極論だろうか?

創造に向けた努力、これは元々苦手な分野かも知れない。でも、これに本腰を入れてものにできない限り、ジリ貧は免れない。

社内でステップを踏んで無難なものを目指しがちとなるが、それでは人の心に刺さるものが生まれにくい。社内合意形成のやり方から改めるべき時に来ていると感じている。

お読み頂き、ありがとうございました。

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