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文化は流れた先で咲く

いきなりであるが、方言には古語が混じっている。「○○だべ」の「べ」は「べし」の短縮形である。「べし」が古語であることは、古文の授業で習ったことがあると思う。

都市部の日常会話では廃れてしまった言葉が、若干形が変わりながらも地方で生き残ることは珍しくない。見方を変えると、かつては全国で使われていた言葉の痕跡が、地方で今も見られるということである。

こういうことは、お化粧でもある。外国の方と結婚してその国に移住された方は、移住時の情報を最後に髪型や化粧法がupdateされない場合がまま見られるのである。

こちらが商用等でその国を訪れ、通訳をお願いすると、失礼ながら今の日本ではあまり見られない姿形でご登場されることがあって、その違和感にしばらく「何が違うのだろう?」と疑問を抱くことがある。

なおファンデーションは、そもそも黄色人種に適したものが現地では手に入れにくいという事情があるとも聞く。だから、色味が合わないのはやむを得ないというお話もあるのだけど、それにしても......と感じたことはある。

私は「古き良き日本」という表現を、あまり好きではない。古い=良いかは議論すべきだとも思う。

それはともかく、昔移民した方の子孫が、移民した当時の日本の生活様式を今でも守っている、しかも今の日本の家庭よりも強く保っているケースは多々ある。

言葉も、化粧も、生活様式も、大きな流れとしては少しずつ変化していくものである、一方で、全てが画一的に切り替わるのではなく、大本から離れた場所で独自のものとして存在し続けるのは興味深い。

これらをガラパゴス化・シーラカンスというのは否定的に過ぎると思う。むしろ、文化は融通無碍なものだと捉えるべきではなかろうか。

日本は今、昔日の勢いを失いつつある。でも、日本の文化もどこかで残り続けるだろうと考えると、少し嬉しい気がする。

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