国際連合の幕府っぽさと拒否権行使に羞恥心を感じさせる方策について
今朝は涼しいを通り越して寒いくらいでした。でも、昼頃には少し気温が上がり、外に出るのに覚悟が要求されることがなくなりました。冷える方でも寒暖を繰り返すのでしょう。
さて、……。
第二次大戦前の平沼騏一郎内閣は、独ソ不可侵条約締結に驚き「欧州情勢は複雑怪奇」のひと言を残して総辞職した。しかし、昨今の国際情勢も複雑怪奇。しかし今を生きる私たちは、この世で生き続けることをやめられない。
ロシア・ウクライナの戦闘状態に加えて、ハマス・イスラエルのテロ・空爆の報復合戦。砲弾やミサイルの炸裂によって人命が奪われるだけでなく、地球温暖化が叫ばれる世に余計なCO2まで発生してしまうのってどうよ? と思う。
このような状況下で国連への関心は当然高まる。そもそも第二次大戦勃発を防げなかった反省から、国際平和と安全の維持(安全保障)を一丁目一番地として組織されたのだから、今機能しなければ存在意義を問われる。
しかし、現状では有効な手立てを打てていない。大国の拒否権により機能不全に陥っている。
ここで「国際連合という表現は不適切。United Nationsという英語のネーミングを考えれば連合国である。第二次大戦で勝った側の組織なので、拒否権を持つ5大国の意向が強く反映され、ニュートラルな存在ではない」というご意見がチラホラ見られる。
これは、設立時の経緯に照らせばその通り「だった」と思う。しかし、連合国に敗れた日独伊の各国も国連に加入して半世紀位以上が経過している。だから今も設立当時のままというわけではない。
米英仏ソは元々大国だったし、中国は今に至って「軍事力増強+人口を背景とした購買力+経済力」を背景に大国となった。その大国としての特性が隠然たる力の源泉であり、連合国側だった経緯は過去のものだと認識している。
この点で、国連って幕府のようだと思っている。そもそも幕府とは征夷大将軍が作戦遂行するためのサポートスタッフの集まりであった。つまり軍事的な組織が起源だったのである。
それが、平時にも政務を担当できるようにした。この構想を考えついた源頼朝は先見の明があったと思う。
そして、江戸幕府においては、かつて関ヶ原で東軍と戦った島津氏も戦いに至らなかったが負け組となった毛利氏も幕藩体制に入った。国連事務総長は征夷大将軍並みの力はないけれど、国連と幕府はかなりパラレルな存在だと思う。
ただ、幕府は列強からの開国要求に対処できず、諸大名の意見を求めたがまとめきれなかった。それが倒幕運動に繋がった。
国連も、現状では米英仏vs露中という対立関係に陥りがち。更にそれぞれの陣営に与するその他の国々がある。議論してもなかなか結論に至らない。こういうところも幕府っぽいと勝手に思っている。
ただ、国連については大政奉還する先がない。だから、まとまらなくても議論を続けなければならない。
有効策はないけれど、一つ要望できるとしたら、もっと魅力的な演説をできる国連大使が出てきて欲しいと思う。戦前の斎藤隆夫のような集客力のある人がユーモアを交えつつ舌鋒鋭く正論を述べれば、拒否権の発動が道化に見える。そういう雰囲気の醸成が国際政治の場では大事。
松岡洋右の「我が代表堂々撤退す」は愚挙であった。あくまでもその場に留まって互譲を引き出すことが大切だと考える。
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