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育児の大変さは分かる、でも一歩引かないと周りがもっと引いてしまう

今日は、珍しく定刻で帰ることができました。いずれは、少しずつフェイドアウトの練習をすることにもなるのでしょうか。

さて、……

元バレーボール選手の大山加奈さんの双子ベビーカーによる都営バスの乗車拒否(?)が話題となっている。本件には前後で走るバス2台が関係していて、それぞれの対応について大山さんは思うところがあったようだ。

まず、1台目のバスが乗車拒否をしたという。私が前段落でクエスチョンマークを付けたのは、この主張に対して都営バス側によれば、運転手曰く「乗車するのかどうかの意思疎通をうまく図れなかった」とのことだからだ。

そして、2台目のバスはドアを開けてはくれたものの「乗務員の手助けがなかった」という。

この2台目のケースについては、簡単にコメントできない。というのは、ワンマンカーの運転手は当然一人で乗務している。これを前提に考えねばならないからだ。

バスの運転手の最も基本的な役割は、バスを時間通りに安全に運行し、最終目的地まで乗客を無事に送り届けることだと私は考えている。ゆえに、その他の仕事は、この基本的な役割に付随する業務だと認識。

この認識に立つと、乗降の手助けは最も基本的な役割ではない。本来は「自分で乗降」である。そして、都営バスでは「ご自身で乗車できない場合は乗務員が補助しますのでお申し出ください」としているとのこと。

ここで、大山さんが補助して欲しいと乗務員に申し出たのかがハッキリしない。でも、多分それはしていないと思われる。というのは、していたなら「お願いしたのに」と書くだろうから。

「見れば大変なのわかるだろう!」とのご批判は分かる。でも、だから申し出なくてよいことにはならない。

この点、政治家に対する役人の忖度を批判するならば、逆に乗務員の批判はできなくなる。「慮る」ことの是非が状況次第で変わってしまうからだ。

これは優先席でもある話。専用席ではない以上、必要ならば声を上げて欲しいと思っている。譲ろうとしたらお年寄りに激しく拒絶された経験があり、慮ることを前提にすべきではないと考えてしまう。

今回のケースは、形式的には付随する業務に該当するけど、申し出がなかったのであれば業務要件を欠くことになる。理屈ではそうなってしまう。

こう言うと「人としてどうなの?」という別次元の話にすり替える人が少なからず出てくる。しかしそれは、話をややこしくしてしまうだけである。

道徳的には、困った人を助けるべきなのは論を待たない。それで終わりである。但し、道徳であれば乗り合わせた乗客も含めた話となるはず。

昨今、過大な要求を突きつける客に対し「お客様は神様ではない」と反論するケースが散見される。基本的にそれはクレーマーとされている。

今回は、それとは異なる。でも、しっかりとした補助要求の意思表示をしていなければ、それについていきなり平場で不満を言うのはフェアではなかろう。

育児は大変で大切なことは私も理解する。でも、それを全面に押し立ててものを言うのは、多くの賛同を得られるやり方ではないと思う。

なお本件では、乗務員のギックリ腰からのバス運行中止リスクもあり得ると考えねばならない。あながち乗務員を悪者にすべきではないと考える。

私は赤ちゃん好きな方なので、手助けすることはやぶさかではない。実際にこの場面に遭遇したなら体が先に動いただろう。でも、それを全員に要求するのはやっぱり酷だろう。そう思っている。

お読みいただき、ありがとうございました。

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