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脳が疲れ果てる時代に小説が売れないのは自明

今日は直上の上司が急遽お休み。その分「分かったら教えてほしいんだけど」攻撃にさらされて轟沈寸前でした。

さて、……

出版不況と言われて久しい。この状況下で、出版業界の人達も文化を担っているという矜持が失われてゆく。

出版社内の企画も「売れるもの」であることが前提とされる。文化的な意義は二の次のようだ。

貧すれば鈍する。一言で表現すればそういうことである。

売れるのは、有名な作家の著作、センセーショナルなもの、流行を追ったもの、ハウツーを扱った実用書、漫画等であり、言葉を磨いた小説は、無名の著者では見向きもされない。

なぜこうなったのだろう?

端的に、私達には時間とエネルギーがないからだと考える。

1人3役くらいが当たり前に求められるようになり、日々の仕事に追われて終業後には疲れ果ててしまっている。

文章を読むのにも、エネルギーはいるのである。著者が放つ秀逸な表現も、疲れた脳内には響かず、ただ通り過ぎてしまう。

飢餓状態が続き、栄養を吸収できる力が失われるのに似ている。栄養素を吸収するにも、消化器に余力が残っていなければ無理なのだ。

だから、より強い刺激を与えるセンセーショナルなもの、日々の生活に役立つ流行ものや小銭稼ぎのハウツー本、現実を逃避させてくれる漫画等に人は流れる。

小説の場合、他人への関心が昔よりも低くなっていることも売れない要因だろう。人と人の係わりは減り、「隣は何をする人ぞ」状態があたり前となった。孤独死も珍しくはなくなっている。

しかも、ネットでの分かりやすい交流が増えた分、言葉や表現の感受性は下がり、共感することも減っている。

そしてそもそも、出版物全体がネットに押されている。無料でもそれなりのコンテンツが得られるのだから、有料のものは有料であるだけの内容を求められる。しかし、それを発掘できる人はほとんどいない。

読者の脳が疲れ果てて表現を味わう余裕がなくなっている、他者への関心が減っている、ネットにおされている、という状況の中で、なお小説が売れる理由を見つけるのはしんどい。

ただ、そういう中でも細々と言葉を繋いでいる人達がいるのは確か。いずれ彼らが再び日の目を見る時がくることを期待したい。

お読み頂き、ありがとうございました。

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。