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朝ドラ「舞いあがれ!」の子役終了に対するコメント欄への違和感

今日は久々にきれいな秋晴れでした。気温もそれほど低くなく、スゴしやすい一日でした。玄関の物入れの整理は無事に終わり、新しく収納スペースができました。やれやれです。

さて、……

ここ数年、朝ドラはずっと視聴している。しかしこのnoteにおいては、その内容についてあまり触れてきていない。せいぜい一作品について1~2回程度大枠で捉えた記載に抑えている。

というのは、微細なストーリーを追って書いても「個人の感想」にしかならず、実社会との関わりが薄いと判断しているためである。それでも書くべきなのかも知れないが、自分のポリシーとは合わないので自粛している。

ただ、今回はYahoo!JAPANに掲載されている標題に関わる記事、それに対するコメントを読んでいるうちに、これはいかがなものかと感じたことから、その思いを記載することにした。

そもそも朝ドラは、特定の個人を取り上げてその一代記を描くものが多い。従って幼少時代も描かれることとなるが、その期間については子役がその役を担っている。

最近の子役はどの子も演技がうまい。単に幼い子が頑張って演じているから親心でつい感情移入する部分もあるが、それを割り引いてもなお見入ってしまう。少なくとも、小学校の学習発表会における演劇とは格段にレベルが違う。

そういうこともあって、子役にも注目が集まるようになっている。そのこと自体には、私も特にどうこう言うつもりはない。

しかし、先週末で子役が大人のヒロインに交代し、それを取り上げた記事とその記事に紐付けられたコメント欄を読んだ。すると、子役の容姿について触れたものが複数あって驚いたというのが正直なところ。

もちろん、子役といえども一人一人顔かたちは異なる。しかしながら、そのことをあからさまに誰もが読める場所に書き込む行為、これは大人としていかがなものかと思うのだ。

少なくとも我々が、大人の俳優・女優について容姿そのものを取り上げてコメントを書くかを考えれば、私の違和感を理解してもらえると思う。

「褒めているから良いだろう」は通じない。当の本人が読んだら、どう思うだろうかが問題である。

もちろん、褒められて嬉しいと単純に喜ぶ子もいるかも知れない。でも、容姿に絡めて自分の将来を見ず知らずの人に語られることに、何も感じないだろうか。まして、やはり外見が大事なんだという誤った認識を持ってしまわないかを大いに危惧する。

こういうことを大っぴらに言っても良いと子役達に受け止められてしまうなら、これはかなり深刻である。決して人格形成上プラスにはならないからである。

昔、芸能人が売れるために必要なものとして、漫才コンビである星セント・ルイスのネタに「腕と顔立ち、事務所の力」というのがあった。この方面での感覚が、昭和の頃と変わっていないのが、大いに残念である。

お読み頂き、ありがとうございました。

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