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意外にいるお金嫌いな人

今日は、1日ほぼ雨を見ずに済んだ日となりました。その割には蒸し蒸しとして過ごしにくかったですね。あなたはどんな感じだったでしょうか。

さて、……。

タイトルの「お金嫌いな人」というのが本稿に適切なのかは分からない。でも、お金を稼ぐ行為について、妙に悪く受け取っている人というのはいる。

お金がないと生活に困る。当たり前のことなのに、それに対して批判的なのはなぜだろう。ぶっちゃけ思考のどこかに欠陥があるように思う。

詰めて考えてみる。まず、働いてその対価として報酬を得る。これは問題がないこと。

でも、日本は道徳教育が行き過ぎていて、欲を持つこと自体を悪と考える傾向がある。これは、私達が自らその傾向を自覚して修正していくべきだろう。

もちろん、過度に欲を持ち、お金を得ることのみが目的化してしまうのは不適切である。どこまでが適正でどこからが過度なのかについても人により感覚に差が出る。でも、際はともかくおおよそ衆目の一致するところというのはあるはず。まずはそのラインで線引きしてよいだろう。

次に、お金のもらい方について考える。

障がい者やLGBTQの人が差別を訴えると、ほぼ必ずと言ってよい程「あの人は障がい(or特性)を売り物にして金を稼いでいる」という批判を述べる人が出てくる。

実際、戦争直後にヘレン・ケラーが2度目の来日をするとの報が流れたところ、巣鴨プリズンに収監されていた元将官が「あれは盲目を売り物にして居るんだよ」という言い方をしていたと、重光葵が記録している。

こうした捉え方は、3つの意味で問題があると思っている。1つは、こういう方々が差別されたことを世に訴える行為を封じてしまうこと。もう1つは、本当にお金が稼げるのかは不明だけど、それで稼いだとしても非難されるいわれはないこと。

そして、更にもう1つは、世の中に分断を生じさせること。所詮は一個人の狭い価値観に基づき、収入を得る方法に優劣をつけているだけである。

法律に反しないは絶対であり、そして人倫に反しないも守れているのであれば、お金を稼ぐことは自由である。話を聞いた側に「その手があったか」と感心するくらいの寛容さがあってよい。必要以上の自己規制により、豊かな発想力を封じ込めるのはもったいない。

自分で自分を規制するのは、最後は仕方がない。でも、他者に強要するのはやめるべき。他者の成功の足を引っ張ることで、何が得られるというのだろうか。

お読み頂き、ありがとうございました。

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