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新年度の異動で感じた「たかが挨拶回り、されど挨拶回り」

今日は、朝から良い天気ではあったものの、気温は低めでしたね。風を切って自転車を漕いでいると、薄手のコートだけではかなり体が冷えました。

さて、……。

先週、職場では異動で転出していく人たちの挨拶回りが波状的に行われ、都度作業が中断した。これは同じ部署の人間が組織的に行うものではないためやむを得ないとは思うのだけど、時間を決める等改善の余地はあると思う。

ただ時間を揃えても、挨拶先の人との親疎はあって、それによって挨拶の所要時間が異なる。丁々発止やり取りした相手とは単なる形だけの挨拶ではなく一言二言会話もしたい。それが人情である。

そう考えるならば、多少の作業の中断もこの時期だけの固有事情だと割り切って流すしかないのだろう。

ただ、同様のことが今週も行われる。今度は遠方から転居を伴う異動をしてきた人が各部署を挨拶して回ることとなる。この人たちは今後一緒の職場で仕事をすることになるので、顔と名前をできるだけ覚えるようにしたい。

もっとも、昨年度までは新型コロナウイルスの関係で挨拶回りも自粛を求められていた。もちろん、送別会もなかった。だから、異動の辞令を見たもののその人と何らかの会話をすることもなく気が付いたらいなくなっていた、というのも当たり前に起こっていた。

異動ならいずれまたの機会も持てるのでまだしも、退職にあたっての慰労会も開けなかった。この3年間の間、やむを得なかったこととはいえ、多くの不義理をしてきたことを改めて感じる。

だから、そういう制約がなくなったこと自体は喜ぶべきことだと考える。たかが挨拶回り、されど挨拶回りである。

しかし、今でも食堂での会話は自粛を求められたままで、アクリル板での仕切りもそのまま置かれている。通勤電車内のマスク着用率は、私の見たところで9割近くに達している。恐らく5月8日の連休明けまではこのままかな、と思っている。

長い間ブレーキをかけ続けてきた施策がなくなっても、すぐに元通りにはならない。多くの人の習い性になってしまったものもある。そして、過去の習慣に戻ることに不安を感じる人、そもそも過去の習慣が嫌いだった人もいることには意を配る必要がある。

義理で出なければならない飲み会がまた復活するのか? と気を揉んでいる人は絶対いるだろうし、直接人と話すことが苦手な人は、これから先どうしようと途方に暮れているかも知れない。

この機会を捉えてお互いに「○○でなければならない」という意識は捨てて、まず本人がやりたいように行動し、できるのであれば許容するという姿勢が大事だと思う。むしろこれからは、そういう許容範囲を広げていく姿勢が文化として定着すると良いなあと思っている。

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